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第6回  ボイルの法則(5)
     ロバート・フック、17世紀の万能人、最初の物理学者

2017/10/10
 
修正 10/24

ロバート・フック(Robert Hooke、1635〜1703年)
 ロバート・ボイルの助手であったロバート・フックは、弾性に関する法則「フックの法則」がよく知られるが、その業績に比べると科学史における記録が極端に少ない学者である。フックは、アイザック・ニュートンと激しく対立、ニュートンが英国王立協会で権力を得た後に、フックの業績を抹消してしまったため、多くの記録が失われたためである。
 
 近年になってフックに関する資料の発掘・調査研究が行われるようになり、日本では、中島秀人氏(1956年〜、東京工業大学)によるフックの研究がある。中島氏の著書「ロバート・フック ニュートンに消された男」(1996年)や科学史研究者による研究から、新たなフック像が知られるようになってきた。(中島氏の 「ロバート・フック ニュートンに消された男」は専門書ではなく一般向けの「ノンフィクション」なので、歴史家でない素人にも非常に読み易い。この本を読むとトーマス・エジソンとニコラ・テスラの関係を思い浮かべてしまう。子供の頃、偉人だと思っていたエジソンが歴史に残る訴訟王であったことを大人になってから知った時と同じような衝撃があった)
 このようなフックの実像に関する研究はあまり多くはないが、ニュートンの方は、多くの歴史家や様々な学者による研究が盛んである。多くの歴史家は、ニュートンを聖人、偉人として評価しているが、なかには、詳細な研究の結果、ニュートンとフックについて一般に語られていることと事実は全く正反対であるという報告もあり(ケインズなど)、中島氏の研究結果のようなことが、特に歴史をねじ曲げているようにも思えない。
中島秀人著「ロバート・フック ニュートンに消された男」朝日選書,1996
   非常に情報が少ないフックであるが、ボイルの法則、気体の初めての科学的研究について考察する時に、フックが果たした役割を考えない訳にはいかないので、このような書籍は非常に役に立つ。
   ボイルは、ゲーリケが発明したものと同様の真空ポンプの製作しようと考え、ロンドンの実験器具製造業者に依頼したが、技術的難度が高く、全く機能することがなかった。
 その時、ボイルの助手となっていたフックが、これを改良してうまく稼動するように完成させた。真空ポンプの製作は難しく、17世紀にまともに稼動できた真空ポンプは、ゲーリケのポンプとフックのポンプだけとされており、欧州の学者達は、フックが製作した「ボイルのポンプ」を手本にして研究を行っていった。
 真空と空気の研究が始められた当時、これらの機械を用いる研究は、莫大な製作費を投じる「17世紀の巨大科学」であった。現在の感覚からは、空気ポンプや真空ポンプを巨大科学と考えることは難しいかも知れないが、現在では、小さなパーソナル・コンピュータやロボットの人工知能の中に納まっている機能も、わずか半世紀前は、専用の空調を持つビルに設置された巨大な箱・電子計算機であり、思い出すのも難しくなってきている。350年も前の真空ポンプや空気ポンプも、おそらく今からは想像できないほど大掛かりな機械であったと思われる。
    フックは、ボイルのために真空ポンプと空気ポンプを製作、彼らは空気の弾性の研究を始めた。当時は、気体の圧力という概念がなく、ポンプによって圧縮された空気が、弾性によって縮む現象として研究された。ボイルは、空気が弾性を持つことを示したが、フックの機械工作に関する知見や高度な技術がなければ、ポンプは製作できず、空気の研究は進まず、ボイルの法則も発見されなかったはずである。歴史の本に示される「ボイルのポンプ」と呼ばれる機械は、本当は「フックのポンプ」と呼ぶべきものである。
  錬金術師、新たな化学者としてのボイルの能力は非常に高いものがあったが、フックの才能は多岐にわたり、数学、天文学、力学などの基礎科学からポンプや実験器具の製作、顕微鏡や望遠鏡の製作までに力を発揮、写真がない時代の自然科学の詳細な描写力は抜きんでいた。 フックには、ミケランジェロやガリレオ・ガリレイのような万能人と同列、17世紀の万能人とも言うべき才能があった。
   フックはボイルより少し若く、ボイルのような貴族ではないため、どこかに職を求めなければならなかったが、運よくボイルの助手になることができ、そこで才能を開花させた。フックはボイルと同じ真空や空気の実験器具によって空気の弾性の研究を行っていたようであるが、主人であるボイルに遠慮していたのか、様々な研究成果が出版されるのは、ボイルよりも少し後になる。
   フックの様々な業績や実験装置などは、ことごとくニュートンによって焼き捨てられてしまったため歴史的大発見の証拠の多くが失われてしまったが、フックが1665年に著した「ミクログラフィア(Micrographia)」は非常に重要な歴史的書物であり、さすがのニュートンもここまでは消し去ることができず、各地の図書館に残り、歴史に残った。(ニュートンもミクログラフィアで勉強していた)
 
ミクログラフィアの表紙
(1665年)(Wikipedia)
フックの顕微鏡(Wikipedia)
フックが描写した「のみ」
(Wikipedia)
   まだ写真が発明される前の時代、天才的な絵画の才能を持つフックは、微小な世界を詳細に描写し、後世の科学者に多大な影響を与えた。同書の名称は日本語でも「顕微鏡図譜」とされるが、ここには、顕微鏡による微小な世界だけでなく、物理(力学)や天文学(月面の詳細な様子)など、当時の最先端の「科学」が広範に記述された。
 中島氏は、ミクログラフィアの記述から、フックが、ボイルよりも先にボイルの法則を発見していたのではないかと推察、フックは実験装置の製作だけでなく、実験の精度も優れており、また数学の才能もあったので、実際に実験データから法則を定式化してボイルの法則を導いた真の発見者はフックであったのではないかとも述べている(明確な証拠はなさそうである)。
   ボイルが、最初に空気の弾性を記述したのは、「空気の弾性とその効果についての自然学的・機械学的新実験」(1660年)である。これはボイルが甥へ宛てた手紙の形式をとった本であったが、改訂版では、他の学説への反論が付録として追加され、ここにボイルの法則が記述された(1662年)。
  これに対してフックのミクログラフィアは微小な世界から天文学まで極めて広範な分野を詳述しており、その執筆にはかなりの時間を要したと思われ、出版されたのは、フックがボイルから独立した後(1665年)である。(フックがボイルの助手を務めたのは、16551662年までの7年間)
    フックは、建築家としても知られ、イングランドのペストの大流行が沈静化した直後に起こったロンドン大火の後に、ロンドン市の測量官となり、消失したロンドンの新しい都市計画を行った(1666年)。フックは、機械技術に精通し、真空ポンプや空気ポンプだけでなく、ぜんまい時計、望遠鏡、顕微鏡、光学機器のためのレンズ研磨装置など様々な機械を考案し製作した。グレシャムカレッジでは数学の教授であり、医学博士でもある。
 フックは、製作した長大な望遠鏡を用いて、火星や木星の自転を観察、惑星の動きから、重力が距離の逆2乗の法則に従うことを見出した(1666年)。フックは、当時できたばかりの英国王立協会の定例会でも、慣性の法則、万有引力の法則、天体の円軌道や楕円軌道などの講義を行った(1670年)。
肖像画のない「ロバート・フック」の想像図
参考:Wikipedia、「フック記念プロジェクトによる2004年の想像図」
 

 ボイルは錬金術師ではない史上初の「化学者」であるが、フックは、おそらく史上初の「職業科学者」と思われる。
  ギリシャ時代から中世まで、数学や天文学、化学(錬金術)などの「自然哲学」は貴族やその他の仕事を持つ人が、本業の傍らとしてあるいは趣味として行うのが普通であって、科学を職業とすることはなかった。したがって、一般人であるフックが、貴族であるボイルから独立した後も、科学を職業としたことは、それまでほとんど前例がなかったことである。人に科学を教えながら、自らも科学を探求するということが職業として成立したのは、フックが自然科学(現在の物理学、化学)から実学(現在の工学や生物学)までの非常に広い範囲に才能を発揮できたためではないだろうか。アマチュアでない初めてのプロの科学者が誕生したと言える。

   イタリアには、15世紀に生まれ、建築、美術、科学など様々な分野で活躍した二人の天才、ミケランジェロ・ブオナローティとレオナルド・ダ・ヴィンチがいて、人々は彼らを万能人と称えたが、ロバート・フックを、「万能人 17世紀のミケランジェロ」、「イングランドのレオナルド」と評する学者もいる。フックは、建築、美術、科学(生物、天文学、力学、光学、化学)、工学(天体望遠鏡、顕微鏡、時計の開発)、数々の分野で活躍し、多くの業績を残している。しかしフックの名前は、ミケランジェロやダ・ヴィンチほど名前が残っておらず、日本の理科の教科書であれば、「ばねのフックの法則」と「細胞を発見してセルという名前をつけた人」くらいしか記載がない。歴史が捻じ曲げられ、間違って伝えられるという事実が、世界には数多くあるということを認めない訳にはいかないが、ここまで極端な例も珍しいと思う。


 真実は、どうであれ、今からボイルの法則がフックの法則とその名称が書き換えられることも、万有引力の法則や慣性の法則がフックの法則と呼ばれることもないだろう。
  しかし、ボイルの法則というのは、このような時代にロバート・フックとロバート・ボイルによって発見された、最初の気体の法則であることには違いはないようであり、この簡潔な式の中には、非常に重要な科学の歴史の始まりが含まれている。