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12回  シャルルの法則(4)空気の組成はどこでも同じ
2017/10/19
 
12/29 修正

 産業ガスの基盤である空気分離の特徴のひとつに、原料である空気がいつでもどこでも同じであるということがある。対流圏(=空気)では、どこでも組成が等しい。「原料空気」は、国によって偏在のない全く平等の資源であるだけでなく、高度によってその組成が変わらないという特徴を持っている。(大気圏の中で最も下層に位置する対流圏だけでなく、そのすぐ上にある成層圏でもほぼ組成は等しい)

 空気が薄いことを酸素が薄いと言い間違えることは、簡単な間違いではない。空気が薄いことと酸素が薄いことは大きな違いがあり、特に報道にたずさわる人たちにこの間違いが多いことが気になる。「高地に行くと酸素が薄い」ということをテレビなどで発言する人が後を絶たない。密度が小さいという意味で「酸素が薄い」と表現する人もいるようであるが、中には「高地では酸素濃度が低い」という大ウソを放送する人もいる。
  標高が高くなると、空気の圧力は低下するので空気は薄くなるが、酸素の濃度は地上とは変わらない。この知見は、空気を研究した先人たちが、命懸けの観測をして得た結果である。

 

「高度が高くなると気圧が低下する」

「上空でも空気の組成は変わらない」(酸素は薄くならない)

   空気が高度によってその組成が変わらないことを発見したのは、シャルルの法則を定式化して発表、気体反応の法則でも知られるジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック(17781850年、フランス)と地理学の古典「コスモス」を著したことで知られる近代地理学の祖アレクサンダー・フォン・フンボルト(17691859年、プロイセン王国)の二人である。
   ゲイ=リュサックは、物理学者ジャン=バティスト・ビオ(1774年〜1862年、フランス)と熱気球に乗って上空の大気圧を調査(1804年)、続いて、冒険家フンボルトと、高度が異なる空気を採取して、その組成が変わらないことを発見した(1805年)。化学者ゲイ=リュサック、物理学者ビオ、地理学者フンボルトの3人の冒険家の探求によって、地球の空気は上空にいくと気圧が下がり、その組成が変わらないということが確かめられたのは、今から210年前のことである。
 
熱気球で上空の空気を調べた人々
   「濃い」「薄い」という尺度は、濃度を意味するので、酸素が薄い(酸素の濃度が低い)という表現は不正確であり、空気が希薄ということを正しく表現するならば、空気の密度が低い、あるいは気圧が低いというべきである。
  ゲイ=リュサックらが発見したように、高度が高くなっても酸素は薄くならない。
    低地で生活している人がいきなりそこに移動すれば高山病になるような空気が薄い高地にも人が住んでいる。南米ボリビアの実質上の首都ラパスには、標高 3600m4000mのところに90万人もの人が住んでいる。生物は多様であり、人間も「空気の薄い」高地に適応できる。
 しかし、酸素欠乏空気(酸欠空気)と呼ばれる「酸素の薄い空気」に、人間は適応できない。
  「空気が薄い」ことと「酸素が薄い」ことは、「濃度」、「組成」、「濃い/薄い」といった用語の誤用というだけでなく、人体にとっては意味が異なる(危険度が異なる)ので、重要な問題であるが、報道番組では頻繁に「酸素の薄い高地」が出てくる。
    似たような間違いとして多いのが、「救助隊が酸素ボンベを背負っている」という報道がある。普通の救助隊は、「酸素ボンベ(シリンダー)」ではなく空気呼吸器用のシリンダーを背負っている。
  空気が極めて薄い高山に登るのであれば酸素ボンベは有効である。空気ボンベよりも酸素ボンベの方が荷物を少なくできる。周囲には希薄であるが空気もある。しかし、火災現場では、有毒ガスなどが発生し、周囲の空気を利用することはできないので、酸素ボンベではなく空気ボンベが必要である。人の生活にとって空気も酸素も非常に重要なものであるが、空気と酸素は全く別のものである。高濃度の酸素を直接呼吸することはけっして安全ではない。
  空気ボンベと酸素ボンベが異なることは、少し考えるとすぐに分かると思うが、なぜか、テレビの実況中継では混同されることが多い。このような科学的に間違った報道が繰り返されると国民の科学リテラシーを低下させてしまう。
 空気と酸素をきちんと区別し、その違いや酸素欠乏空気の危険性について正しい知識を持つ必要がある。

高度が増すと空気が薄くなる(密度が低下する)
    空気の密度は一定ではなく、高度が上がると小さくなっていく。大気は地球の重力によって表面に存在する気体であり、その最下層が空気であるから、高度が上がると次第にその量が少なくなっていく。気圧は、高度だけでなく、緯度、気象条件によって大きく変わるため、一般的に大気圧と呼ばれているのは、国際度量衡総会(CGPM)が採用する「標準気圧」である。これは海面付近(標高がゼロ)の値から101.325 kPa(1013.2hPa)と決められている。なお、気象では、気圧を「高気圧」や「低気圧」と表現するが、これは、この標準気圧より高いか低いかという意味ではなく、周囲と比較して相対的に圧力が異なる「領域」のことを示している。したがって標準気圧よりも気圧の高い低気圧も存在する。
   対流圏内であれば、100m増すごとに1kPa(10hPa)ずつ高度に比例して気圧が低下する。標準気圧から高地の気圧を求めると、富士山頂では、約70kPa(700hPa)、エベレスト山頂で約30kPa(300hPa)となる。高い山に登っても空気の組成は一定であり、酸素濃度も等しいので、酸素が薄くなることはないが、空気の密度が小さくなる(空気が希薄になる)ため、含まれる酸素の量(分圧)も小さくなり、体に取り込める酸素の量が不足する。

   人間の体は、「高度順応性」によって、ある程度の高さまでは、急激な変化でなければ対応できるが、標高約2400m(77kPa)以上の高度からは、低酸素状態による高山病(altitude sickness)を発症するリスクが大きくなる。高山病は、病気ではなく症候群なので、日本語では「高度障害」と呼ぶのが正しいが、この言葉には様々な意味があり、分かりにくいので、ここでは一般的な名称「高山病」を使うことにする。
   一方、閉鎖空間やガスの噴出などによって、酸素が薄い「酸素欠乏空気」という危険な空気が発生することがある。鉱工業を始め、農林水産、運輸などあらゆる産業において酸素欠乏空気の可能性があるため、「労働安全衛生法」に基づいて定められている「酸素欠乏症等防止規則」では、低酸素濃度の作業環境で労働を行ってはならないとしている。あらゆる産業において、酸素欠乏事故を防止しなければならないが、産業ガスを取り扱う現場でも酸素欠乏空気に対する注意が必要である。
「空気が薄い状態」と「酸素が薄い状態」
   「空気が薄い状態」と「酸素が薄い状態」の違いを考えてみたい。図に「空気が薄い」高地の状態と「酸素が薄い」酸素欠乏空気の状態を模式的に示す。
 
 図の四角形の大きさが空気の量(気圧)、黒丸が酸素の量を表している。図は、数値をかなり簡略化してあり、標準の空気は、窒素8対酸素2とし、アルゴンは省略している。図の左下が海面付近の標準大気圧の空気であり、図の上に行くにしたがって高度が上がり、気圧が低下する。空気が薄くなる(密度が低下する)ので四角形は小さくなっている。
  高度が上がっても酸素は薄くならない(空気に含まれる酸素の割合は変わらない)が、酸素の絶対量(図の黒丸の数)が減る。高度が高くなればなるほど酸素の絶対量が少なくなるので、高山病発症のリスクが増す。
   ヒトが環境の異なる状態に置かれる時、体には環境に適応する機能があり、気温変化に対する暑熱順化、寒冷順化などがよく知られているが、気圧低下に対しても、徐々に高度を上げ、高地に長期滞在すれば個人差はあるものの、「高度順化」を獲得して、高山病の発症を防ぐことができる。吸気に十分な酸素が含まれていなかった場合、赤血球数の増加、ヘモグロビン量の増大、肺活量の増大などの順応機能によって、ある程度の低酸素状態に耐えられるようになる。低地に住む人でもこのような手順によって、高地を旅行することが可能になる。
 一方、図の右の方へは、酸素が薄くなる様子を示している。気圧は変わらないが、何らかの理由で酸素が欠乏した空気となっている。高地の場合と酸素の量(図の黒丸の数)が同じでも、空気の圧力は低地の大気圧のままであるから酸素の濃度は下がっており、酸素欠乏空気による酸素欠乏症の危険が高まる。
酸素欠乏症等防止規則
   酸素欠乏症等防止規則(厚生労働省令第一七五号、通称酸欠則)は、酸素欠乏症等を防止するための事業者の責務を定めており、酸欠のおそれがあるところでは、労働災害を防ぐために作業主任者をおかなければならないとしている。中央労働災害防止協会発行の「新 酸素欠乏危険作業主任者テキスト」に酸欠とその防止策が、詳しく、分かりやすく解説されている。
   人間の肺の中では、血液中の二酸化炭素を放出し空気中の酸素を吸収するガス交換が行われているが、全身をまわってきた血液中にも酸素が含まれているから、取り入れた空気の中にはその血液中の酸素よりも十分に高い分圧の酸素が含まれていなければガス交換は行われない。
 テキストには、各ガスの分圧(酸素、窒素、二酸化炭素、水蒸気)が吸気、呼気、血液、肺胞の中でどのように変化していくのか、その様子が詳細に示されている。アルゴンは記載されていないので、おそらく窒素に含まれているものと推測される。
    この中で、非常に重要な反応は、血液が肺を通過する0.75秒の間に、胚胞において、血液中の酸素が40mmHg(5.33kPa)から、ほぼ飽和状態の95mmHg(12.7kPa)になる反応であるとされている。通常の空気を呼吸した場合は、吸気中の酸素は159mmHg(21.2kPa)、呼気中の酸素は116mmHg(15.5kPa)である。
 もし、吸気中の酸素が不足し、ガス交換が行われないと、酸素欠乏状態の血液が全身に送り出されてしまうことになり、危険な酸素欠乏症が起こる。表に酸素濃度と酸素欠乏症の関係を簡単に示す。
   法令では、酸素濃度18%を安全下限界とし、これよりも酸素濃度が低いことが予想される場合は、酸素濃度の測定、防護具の準備などを行わなければならないと定めている。
   今まで、幾度も「高地では酸素が薄い」という報道を聞いたが、最も驚いたのは「2000mの高地では、酸素濃度が4分の3しかない」というニュース解説である。
 よく聞く「酸素が薄い」というのは、感覚に頼った印象を述べたものとも受け取れるが、「濃度」という学術用語を使うとなると話は別で、地上の4分の3の濃度ということは、酸素濃度が
15.8%ということである。このような場所では、高地トレーニングどころか、普通に生活することもできない。 酸素濃度が低いところでの労働は法で禁じられており、表に示すように低酸素空気は重篤な障害を引き起こす。
 
表 酸素濃度と酸素欠乏症の症状との関係
段階
酸素濃度%
酸素欠乏空気を呼吸した場合の主な症状等
21
正常その時
18
安全下限界。連続換気が必要。
酸素濃度測定、呼吸保護具の準備が必要
16〜12
脈拍・呼吸数増加、集中力低下、筋力低下、めまい
14〜9
意識もうろう、酩酊
10〜6
幻覚、意識喪失、昏睡
6以下
瞬時に昏倒、呼吸停止、死亡など
   
   (気体については、濃度ではなく「分率」を使うのが正確であるが、ここでは一般に使用される「酸素濃度」という表現を用いた→用語(3)
    標準大気圧の空気の場合、濃度18%の酸素の分圧は、標高約1600m(気圧85.7kPa)の空気中の酸素分圧に相当する。標高2400m以上で高山病発症の危険があるといわれるので、標高約1600mと分圧が等しい低地の酸素濃度18%は、まだ大丈夫、と計算する人がいるかも知れないが、表に示すように、これは既に安全下限界である。
   酸欠事故を予防することを目的として法で定めている「酸素濃度」は、低地、ほぼ海面高度付近での標準大気圧1atm程度の気圧での空気中の酸素濃度が想定されている。
  上の表に示す値も、気圧の低い高地のことまで考慮したものでではないので、おそらく気圧の低い高地では低地よりも高い濃度でも酸欠が起こりやすいと考えられる。逆に低地での低い酸素濃度に対応する酸素分圧が、高地の正常な酸素濃度に対する酸素分圧と同じであるからといって、その時の低地の空気が安全であるということも言えない。
 酸欠に注意すべき状態は、標準の大気圧における酸素の濃度で規定されており、酸素分圧ではない。もし食品の保存のために高地と同じ分圧の低酸素の倉庫を作ったとしても、その「濃度」が表に示すような酸欠のレベルにあれば、立ち入ることはできないということである。法令は濃度で規定しており、分圧による判断は示していない。
   テキストによると、一般的に、酸素濃度が低下すると、16%くらいから自覚症状があり、低濃度ほど重症となり、10%以下では命の危険が生じ、特に6%以下の低酸素空気や無酸素空気の場合は、たった、1回の呼吸でも生命の危険がある。
 脳は、体重の
2%であるが酸素消費の25%を占め、筋肉のように酸素を貯蔵する能力がないため、無酸素空気の吸入の影響を非常に大きく受ける。
  脳の活動には血液中に
60mmHg(8kPa)の酸素が必要であるが、低酸素あるいは無酸素空気を呼吸すると、ガス交換が停止し、脳が活動停止に陥る。この反応は酸欠空気の吸入後、わずか2秒以内に起こるといわれる。
  水中では呼吸を止めることができるが、これは、肺や筋肉など体の中に蓄えられている酸素が少しの時間であれば利用できるためである。これに対して、無酸素空気を呼吸した場合は、たったひと呼吸でも肺でガス交換して作られた低酸素血液が短時間のうちに脳に達してしまうため、非常に危険である。少しの間、呼吸を止めておくことと無酸素空気を呼吸することは全く異なるということである。
    図にヒトの肺におけるガス交換の様子を示す。テキストには、アルゴンの記載がないので推定した。生体内の圧力は、通常はmmHgで表すことが多く、血圧などは、SIではなくmmHgで表記することが定められているが、ここでは気体の圧力(分圧)の単位としてPaを使用した。(気圧は1atmを想定)
 
   通常の空気(標準大気圧の空気)を呼吸した場合、吸気には、21.2kPaの酸素が含まれており、胚胞の中の空気は出入りするため、胚胞中の平均の酸素は18.7kPaになっている。
  全身を回ってきた血液は、静脈から心臓を経て肺動脈に送られる。ここでの血流中の酸素はゼロになることはなく、
5.7kPaの酸素が含まれており、胚胞中の酸素の圧力(分圧)とこの血液中の酸素の圧力(分圧)との違いが重要な推進力(ドライビングフォース)となってガス交換が行われる。
   血液中の酸素は12.7kPaまで回復、肺静脈から心臓を通って全身に送られる。全身をまわた血液中の酸素は消費され、5.7kPaで戻ってくる。
  胚胞から排出される呼気には、
15.5kPaの酸素が含まれている。吸気中の二酸化炭素は0.03kPaであるが、呼気中の二酸化炭素は4.3kPa。胚胞では、時間を変えて、給気と呼気が行われ、体内への酸素の取り入れと体外への二酸化炭素の放出というガス交換が行われている。
   非常に精密な呼吸が行われているため、呼気中の酸素が不足し、ガス交換が行われなくなると重大な障害が発生する。もし、呼気中に全く酸素が含まれていなければ、胚胞中の酸素濃度が急激に低下、血液中の酸素も低下したまま全身に送り出されることになるため、酸素欠乏空気の呼吸による事故は、一瞬の間に起こる。
   何らかの理由で、酸素が足りない酸素欠乏空気が発生することがあり、その危険はいたるところに存在する。たとえば、マンホールや倉庫、洞窟など閉ざされた空間は酸欠空気が発生しやすく、このような場所に立ち入るときは、事前の酸素濃度の確認が必要である。
 発生直後の「ガス」も注意が必要である。液体窒素が蒸発した直後の窒素ガスは、まだ空気とよく混ざっていない低温のガスであり、重く低いところに溜まり、局所的に酸欠空気を作ることがある。
  空気中には窒素が
79%もあり毒性もないが、高濃度の窒素は、酸欠空気の原因になることも多く、取扱いに注意が必要である。
  液体窒素やシリンダーの窒素は毒ガスではないが、密閉空間、特に、エレベータや換気のよくない実験室などでの取扱は特に注意が必要である。アルゴンやヘリウムのような希ガスもそれ自体に毒性はないが、狭い空間で噴出させると酸欠空気を発生させるおそれがある。
    酸欠則は、危険場所を「酸素欠乏危険場所及び硫化水素発生危険場所等」としている。これは、空気中の酸素濃度の低下と同様に硫化水素の発生にも注意すべきであることを示しており、酸欠則そのものが「酸欠防止、硫化水素中毒防止」の規則となっている。
  硫化水素は中毒性のある毒性ガスであり、腐敗物などから発生しやすいが、火山国である日本には、硫化水素を含む火山性ガスが発生しやすい場所が多く、特にに注意を要するガスのひとつである。
    酸素欠乏の危険性は、産業ガスの分野だけでなく、鉱工業、農林水産業、運輸業、観光業、商業など全ての産業において存在する。事故・災害を防ぐために、テキストには、酸素欠乏が起こる原因や起こりやすい場所、対応の方法などについて非常に詳しく説明されている。
   
   なお、ヒトや哺乳類のような肺呼吸の機構は、吸気と呼気が同じ通路を用いて行われ、行き止まりになっている胚胞内でガス交換が行われるため、時間によって酸素濃度と二酸化炭素濃度が大きく異なり効率的とは言えない。
  これに対して、鳥類は「気嚢システム」という呼吸器官を持ち、陸上生物よりもはるかに効率のよい呼吸が可能である。肺と前気嚢と後気嚢が組み合わされ、吸気と排気が効率よく行われ、肺は常に新鮮な空気で満たされる。
    鳥は人が行けないような高度、1万mの高さを飛んで山脈を越え、飛行機と同じ高さを飛行することもできる。空気が薄い高度を飛行する鳥が大丈夫だからといって、同じ条件でヒトも大丈夫だということはないのである。ゲイ=リュサックらが気球で高空の空気を調べる時に、あらかじめ鳥以外の動物で実験を行ったのは賢明な手順であったと言える。