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14回  シャルルの法則(5) 温度(その2)
2017/10/29
 
修正

図 絶対温度(熱力学温度ケルビン)とその他の温度目盛り(寒暖の尺度)
E温度計(thermometer)の歴史
 温度は、気体分子運動論やエネルギーに関わるものであるため、その概念や定義を正確に理解するのは難しい。しかし、人体の感覚(暑さや寒さ)や熱現象を温度と結びつけた概念は比較的古くからあり、18世紀頃より、これを見えるようにするための「温度計」が考案され、尺度を表わすための「温度目盛り」が考えられるようになった。
 高田誠二氏(
19282015年、通商産業省計量研究所、北海道大学名誉教授)が、解説記事、「温度概念と温度計の歴史」(日本熱測定学会、Netsu Sokutei 32(4)162-168、2005年)を著している。高田氏の解説を参考に、温度計の歴史を勉強したい。
   史上初の温度計は、ガリレオ・ガリレイの気体温度計(1590年頃)とされており、その後18世紀には、アルコール温度計と水銀温度計(液柱温度計)が考案された。本来の温度の定義は気体の法則(シャルルの法則)によるが、温度を測定するための材料(thermometric materials)には、気体や液体が用いられた。温度が上昇すると膨張するという気体や液体の性質を利用した温度計が考案された。
 温度計には、目盛が必要であったが、目盛はひとつに定まることがなく、英国のG.マーチンという人が著した「温度基準一覧図(
1751年)」には、ファーレンハイト度、ド・ラ・イール度、アモントン度、レオミュール度、ド・リール度、ニュートン度,ファウラー度、ヘイルズ度といった人名を冠したもの、フローレンス、パリ、エディンバラ、王立協会といった地名などがつけられたものなど、非常に多種類の温度目盛が記されている。この中では、ファーレンハイトとニュートン以外は、日本人にはほとんど馴染みのない名前ばかりであり、われわれがよく知るセルシウスやケルビンの名前はまだない。
   ボイルの法則は17世紀中盤の1662年、シャルルの法則は19世紀初頭の1802年に公表された。温度が定義されたのはシャルルの法則以降であるが、二つの法則の中間の18世紀中頃は、収拾がつかないほど多様な温度目盛が提案されていたということになる。先に、寒暖のようなものを表わす温度計が研究され、後からゲイ・リュサックによって温度の概念が定義されたという順序になる。
 
19世紀になって、数多くあった温度目盛は収束に向かい、ファーレンハイト度とレオーミュール度と、この温度基準一覧図のときにはまだなかったセルシウス度を加えた3つの温度目盛りが主流となっていった。
F日本における温度、寒暖計と温度計
   日本の温度計は、欧州から伝わったものである。
  江戸時代中期の蘭学者、平賀源内(
17281780年)が製作した温度計の目盛板には、日本語表記で、極寒、寒、冷、平、暖 等の文字が記され、そのとなりには、数値も併記されており、その値から、その温度はファーレンハイト度であった推測されている(1765年、江戸幕府第10代将軍の頃)。また、江戸幕府が、オランダから購入し、幕末の箱館戦争(函館戦争)で沈没した軍艦が20世紀末になって引き上げられたが、そこに設置された温度計には、ファーレンハイト度とレオミュール度の二つの温度が併記されていたという。まだセルシウス度の痕跡がない。
   日本には、温度(temperature)という概念も温度計(フランス語 thermometre1626年、英語名 thermometer)という道具もなかったが、幕末から明治時代にかけて、西洋から多くの文明が伝わり、その中にあった温度を測る道具(器具)に対しては、様々な日本語訳が考えられた。
  験温管、験温器、寒暑針など
10種類ほどが作られた中から「寒暖計」という訳語が広まり(福沢諭吉)、西洋伝来の暑さ寒さを表わす計器は、約60年間、寒暖計と呼ばれた。寒暖計は、まさしく寒暖の尺度を表示する器具であった。
   しかし、やがて寒暖の尺度ではない、科学の「温度」の概念が必要となり、言葉も改められることになった。第二次世界大戦中(1940年頃)に、温度を測る器具・寒暖計のことを「温度計」と呼ぶ、と取り決められた、寒暖計は温度計と呼ばれるようになった。「温度」という物理量を測定するための器具として温度計が位置づけられた。その結果、寒暖計という用語は、「人が感じることのできる範囲を計る(狭義の)温度計」と再定義されるようになり、現在もこの言葉が残っている。
 日本で、温度を計る計器を「温度計」と呼ぶように決めたのは、比較的最近のことであり、まだ
80年の歴史もないが、現在では温度計という言葉は広く定着している。
  水の温度=水温、空気の温度=気温などと、温度を温の一文字で表わすことも多く、用途によっては、水温計、油温計、体温計などと「度」という言葉を用いない温度計も多い。
   なお、液体窒素、液体酸素やLNGなどを空気の熱で蒸発させて気化させる蒸発器(evaporator)のことを、産業ガス業界では「空温式蒸発器」と呼んでいるが、この場合の「空温 くうおん」とは「気温」「空気温度」のことではなく、「空気で温める」という意味である。水で加熱する蒸発器は「温水式」蒸発器」と呼ぶ。空冷の反対は空温であるが、水冷の反対は温水(式)である。
Gファーレンハイト度(degree Fahrenheit
   米国などで使われるファーレンハイト度(°F)は、水の凝固点を32度、水の沸点を212度として、その間を180分割する温度目盛である。
 地球上の居住可能範囲の環境は、ほぼ、
0100°Fの間に入り、ほとんどの生活圏で、ファーレンハイト度にはマイナスがない。通常の生活範囲では、マイナスの値がでないようにとしたという点では、オリジナルのセルシウス温度と考え方は同じであるが、寒い時に温度が低く、熱い時に温度が高いという目盛りの向きは、セルシウス度(オリジナル)やドリール度とは逆である。
   ガブリエル・ファーレンハイト(16861736年、プロイセン)は、アルコール液柱温度計の不正確さを排除するために、純度の高い水銀を使用して温度測定の精度を高め、温度計を用いた様々な研究を行いファーレンハイト度を提唱した(1724年)。
 ファーレンハイトは、液体の沸点を計測、沸点が液体の種類によって異なること、大気圧によって沸点が変化すること、液体を混合するとその温度は合計した平均温度にならないことも発見。今では当たり前のように知られているこれらの現象は、ファーレンハイトの正確な温度計を用いた実験によってはじめて明らかにされた。ファーレンハイトは、また、過冷却水(
supercool)の震盪凝固現象も発見している(1721年)。
   ファーレンハイトが、温度目盛を考える時に参考にしたレーマー度は、水の沸点を60度、凝固点を7.5度にしていたため、頻繁にマイナスが現れるという不都合があった。そこで、ファーレンハイトは、マイナスの温度を避けながら「水と氷が共存する温度と健全な男性の体温を固定点とする温度」を考案することにした。この体温とは、おそらくファーレンハイト自身の体温であったと考えられているが、現在の標準からはやや高い。
 ファーレンハイト度は、生活密着型の温度であり、ヒトの体温が
100度(°F)になるように考えられたが、その後の調整の結果、一般的なヒトの体温(平熱)は98.6度(°F)(37.0°C)とされているため、体温が100度(°F)(37.8°C)以上では要治療と考えられるようになっている。
 気温は
30度(°F)(−1.1°C)でかなり寒く、50度(°F)(10°C)で涼しく、80度(°F)(26.7°C)で暑く、100度(°F)は体温よりも高い危険な猛暑である。
    22度(°F)は、氷点下10度であり、氷が張っても、まだマイナスにならない。0度(−17.8°C)は、冷凍庫のような低温であるため、極寒地以外の通常の生活環境では、マイナスは現れない。
  現在、ファーレンハイト度を公式に使用しているのは、アメリカ合衆国とカリブ海の諸国(ジャマイカ、バハマ、ケイマンなど)に限られており、大半の国がセルシウス度を採用している。セルシウス度はメートル法とは関係ないが、
SIでは特別な尺度として認められており(熱力学温度と温度幅が等しい)、セルシウス度の方が世界標準になっている。
   ファーレンハイト度の温度目盛りは季節の寒暖や人の体感にあうように考えられている。水が凍るのが32度、体温が100度だと少し熱があると覚えるとよさそうだが、セルシウス度が普及し、ファーレンハイト度がほとんど用いられていない日本では、この感覚を覚えるのは難しそうである。
   
Hセルシウス度(degree Celsius
   日本では、いつから、セルシウス度が正式に使われるようになったのか、確かな記録はみつからないが、尺貫法、メートル法、ヤード・ポンド法などが混在したまま明治時代に制定された「度量衡法」が昭和時代に廃止され、新たに「計量法」となった時(1951年)に、その中には、セルシウス度が含まれていた。遅くとも20世紀の中頃には、セルシウス度が正式に法に定められていたようである。
  科学的温度は、絶対温度である熱力学温度(単位はケルビン)であるが、日本では、日常の温度目盛としてはセルシウス度が広く用いられている。
    気温、水温、体温、その他の分野でセルシウス度が用いられ、現在、日本語で、単に「度」というとほとんどの場合、セルシウス度である。セルシウス度は、270年前に天文学者アンデルス・セルシウス(17011744年、スウェーデン)によって考案された(1742年)。セルシウスは、圧力が1気圧の時の、水の沸点を0度、凝固点を100度とし、その間を100等分した目盛を温度の尺度とした。現在のセルシウス度は、水の沸点を100度、凝固点を0度とし、その間を100等分しており、オリジナルのセルシウス度とは、逆の温度目盛である。
   セルシウスは、通常の生活環境では、温度の値がマイナスにならないようにと考えて、温度目盛を考案した。スウェーデンのような北欧の寒い地域では、水の凝固点100度よりも温度が高く(寒く)なるため、セルシウス度は100度を越えるが、水の沸点0度よりも温度が低い(暑い)生活環境はないため、通常、マイナスの温度は現われない。セルシウス度は、寒い時に温度が高く(高温=寒い)、熱い時に温度が低い(低温=熱い)、温度目盛であり、水の沸点よりも冷たい範囲で用いられる温度の尺度とされたが、このような温度目盛はセルシウス度に限ったものではなく、ジョゼフ=ニコラ・ドリール(16881768年、フランス)が考案したドリール度も水の沸点を0度、凝固点を150度としていた。目盛りや尺度を考える時、ゼロはあってもよいが、マイナスはほとんど使われないとするのが普通の考えである。同じスウェーデンの著名な学者カール・フォン・リンネ(17071778年、スウェーデン)は、最も初めの頃からセルシウスの温度目盛に注目して、実際に温度計を製作させた。
   ところが、セルシウス度は、セルシウスが亡くなった直後に、分割は100分割のまま、凝固点(氷点)をゼロ度、沸点を100度とする逆の目盛に変えられた(1752年)。セルシウスが創設したウプサラ天文台の資料によると、この変更は、天文台後任者マルテン・ストレーマや温度計の製造業者のダニエル・エクストレームによるものであり、重要なのは温度定点を決めたことであって、スケールの方向はさして重要ではなかったとある。リンネが変えたという説もあったが、どうやらそうではないらしい。
 セルシウス度は、当初、尺度としては不都合なマイナスの数値が現れないようにと考えられたものであったが、この変更によって、日常の使用でも頻繁にマイナスの値が現われる温度になった。図にはセルシウス度と次に述べるファーレンハイト度を図示する。単位や尺度、目盛りの中でマイナスとプラスの両方が頻繁に現われるものは非常に珍しい。
   セルシウス度は、熱力学温度(科学的な温度)や絶対温度ではないため、そもそも何倍、何桁といった科学的な取り扱いはできない。無理矢理、9°Cを一桁、10°Cを二桁と読む人がいるが、0°Cや零下を表現するセルシウス温度には温度という物理量の「桁」がない(ファーレンハイト度もゼロに意味がないため、セルシウス度と同様、桁を議論することはできない)。途中にゼロがあるというのは、やっかいな目盛である。
   上の図に示すように、セルシウス度という温度目盛りは、実際の温度(熱力学温度)の一部分を切り取ったような位置にあり、ゼロ点には科学的な温度としての意味がない。
 
0°C以下の温度を表わす時には「零下○○度」と読む。「マイナス」は日本語ではないが、すでに外来語として日本語になっているので「マイナス○○度」も多い。
 あるいは「氷点下○○度」と読む方法もある。氷点はちょうど
0°Cではないが、慣れるとマイナスの温度では、水が氷になるだろうという直感(冷たいという感覚)が働きやすい。
   なお、セルシウス度は、当初は、100分割という意味で、「百分度」(centigrade)と呼ばれたこともあるが、国際度量衡総会(1948年)において、正式に「セルシウス度」と呼ぶことになっている。英語の口語表現にしばしば見られる「センチグレード」は、温度を表わす学術用語ではない。
 
I温度目盛のまとめ
   ルネ・レオミュール(16831757年、フランス)が、レオミュール度(°Re)を考案、定点は水の凝固点を0度とした(1730年)。氷点で体積1000のアルコールの体積が1上がる毎に1度加えることにしたところ、水の沸点では80/1000となったため、結果的に氷点が0度、沸点が80度の温度目盛となった。セルシウス度は定点が2つで分割数が100、レオミュール度は、定点がひとつしかなく、目盛の分割は行われていないが、結果的には80分割に相当し、レオミュール度と改定後のセルシウス度はよく似た温度目盛になっている。
 レオミュールは、数学者、昆虫学者であったが、様々な実学にも興味を持ち、木材からパルプが作られること、貝が真珠を生成することなどを発見、アルコール温度計を作って、温度目盛レオミュール度を考案した。
 数多く乱立した温度目盛のうち、ファーレンハイト度(
1724年)、レオミュール度(1730年)、セルシウス度(1742年)、という18世紀前半に考案された3つの温度が残り、現在は、大半の国でセルシウス度が、一部の国でファーレンハイト度が使用されている。なお、セルシウス度(または温度)を「摂氏・せし」、ファーレンハイト度(または温度)を「華氏・かし」、レオミュール度を「列氏・れっし」と書くが、これらは、温度目盛の考案者の名前の中国語表記に由来している。漢字表記は、セルシウス(摂爾修斯、摂尓西烏斯)、ファーレンハイト(華倫海特、華連歇乙)など様々であるが、日本語の日常会話では、セルシウス度を使う時は、「摂氏」を使い「せっし○○度」と読むのが一般的である。
   現在、最も多く用いられている温度は、熱力学温度ケルビン、セルシウス度、ファーレンハイト度の3つであるが、これらの温度あるいは温度目盛は、全て、寒い(エネルギーが小さい)方が値が小さく、熱い(エネルギーが大きい)方が値が大きい。「高温=暑い、熱い」、「低温=寒い、冷たい」が標準となった。高温というのが暑いという意味を持ち、低温というのが寒いという意味を持つようになったのは、近年になってからの話であって、はじめから温度目盛がそのようになっていたのではないということである。
   日本語の「深冷」には、「冷たい」という言葉が入っているが、「超低温」には冷たいという言葉はなく、「低い温度」という高低の尺度が入っている。もし、逆方向の温度目盛りの方が普及していたなら、超低温、"very low temperature" は、別の単語になっていたのかも知れない。
 温度の方向が変更されたセルシウス度には頻繁にマイナスが現わるようになってしまったが、数ある温度も目盛の中からいくつか残ったものが全てが同じ方向の目盛を持っていたため、エネルギーの大小と温度の高低が同じ向きに対応し、高温、低温の意味が同じになったということは、非常に都合がよい結果となった。