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第38回 2−4 希ガスの科学(3)
 2017/12/29
    2−4−4 ヘリウムの発見  

(1)太陽で発見されたヘリウム
 ヘリウムは、アルゴンと同じ周期表18族の希ガスであり、空気中に存在し、産業ガスとして広く利用されている。しかし、深冷空気分離装置では製造されておらず、物性、資源、製造方法など、工業的には、アルゴンとの相違点が多い。
   ヘリウムは、自然界(宇宙)では、水素についで2番目に多い元素であり、最初にその存在が見出されたのは、皆既日食中の太陽光の観測である。
 ウィリアム・ウォラストン(17661828年、イングランド)が太陽光のスペクトル(輝線)に暗線を発見した(1802年)。
 ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー(17871826年、ドイツ)も太陽光に暗線を発見(1814年)、系統的にこれを研究した。これは、太陽大気に含まれる元素や地球の空気に含まれる元素によって特定の波長の光が吸収されて起こる現象であり、この線は「フラウンホーファー線」と呼ばれるようになった。
    光をプリズムや回折格子で波長に展開、そのスペクトル(輝線)を研究する分光学が1819世紀にかけて発達したが、スペクトルの中に現れる暗線(吸収線)であるフラウンホーファー線を研究することによって遠くのもの(物質)を調べることができるようになり、太陽光線から太陽がどのような元素を含んでいるのかが詳細に調べられるようになった。
    1868年、インドで観測された皆既日食の時に、ピエール・ジャンサン(18241907年、フランス)が太陽彩層の光から波長587.49nmの暗線を観測した。その後、D3線と呼ばれ、現在知られている波長は、587.565nmである。
 なお、彩層(chromosphere)とは、恒星の表層部分で、光球の上側、コロナの下側に位置する薄いガス層であり、太陽光線があまりにも強いため、地上からは肉眼では観測できないが、皆既日食時には、赤く輝き観測が可能となる。現在、日本では、太陽観測衛星「ひので」(2006年打ち上げ、地球からの高度680kmの太陽同期軌道)によって、その構造の調査が進められている。
   ジャンサンと同じ年、サー・ノーマン・ロッキャー(18361920年、イングランド)も、英国で太陽光のスペクトルを分析し、これは、地球上には存在しない元素であると結論付けた。
ロッキャーとエドワード・フランクランド(18251899年、イングランド)が、これを「ヘリウム」(helium、ギリシャ語で太陽)と名付けた(1868年)。ヘリウムは、天文学者のロッキャーと化学者のフランクランドによって、太陽の中から発見された新元素である。
(2)「仮想元素」ヘリウム
   ロッキャーは、この翌年にネイチャー誌を創刊(1859年)、レイリーが、ネイチャー誌に、「化学窒素の密度よりも大気窒素の密度の方が大きい」という論文を投稿をし、アルゴン発見のきっかけとなったのは1894年である。アルゴンよりもかなり前にヘリウムが発見されていることになる。厳密に言えば、世界で初めて発見された希ガスはアルゴンではなくヘリウムということになるが、ヘリウムは地球上では見つかっていない。太陽にしかないヘリウムは、その性質を調べることもできず、とても新元素と呼べるものではなかった。
    ロッキャーらによるヘリウム発見の翌年、ドミトリ・メンデレーエフ(18341907年、ロシア)が、最初の63個の元素の周期表を完成させた。その時、水素の次の2番目の元素は空欄であった。ここに入るヘリウムという名前の新しい元素は、太陽光球の4分の1を占めるほど大量にあったが、地球上では長い間発見されず、周期表の空欄は、すぐには埋まらなかった。地球上にない元素では、その性質を調べることもできず、周期表に書き込むことができなかったのである。しかし、ロッキャーは、ヘリウムは太陽にのみ存在する元素であり地球には存在しないという仮説をたて、化学界で、ヘリウムは「仮想元素」として承認された。
(3)鉱石から発見された地球のヘリウム
   1882年、ルイージ・パルミエーリ(18071896年、イタリア)が、火山の溶岩中にD3線スペクトルを発見、地球にもヘリウムがあるらしいと思われた。
  1890年、米国地質調査所のウィリアム・ヒレブランド(18531925年、米国)が、閃ウラン鉱から化学的反応性のないガスを発見した。しかし、この時に調べたスペクトルから彼は窒素だと断定、ヘリウムの発見には至らなかった。
 1895年、ヒレブランドの報告を読んだラムゼーは、これは窒素ではないと推測して、クレーベ石(閃ウラン鉱や希土類元素を多く含む鉱石)を入手、硫酸処理などを経て窒素ガスを除去、残留ガスの中からヘリウムを発見し、分離に成功した。
  ヘリウムは、太陽光から発見されて30年もたって、ようやく、地球上で発見された。これは、レイリーラムゼーが空気からアルゴンを発見し(1894年)、これを正式に発表してからわずか二ヶ月後のできごとであった。仮想元素であったヘリウムは地球にも存在し、ラムゼーはたった2ヶ月の間にアルゴンとヘリウムという2つの重要な新元素の発見を報告したのである。
 
 ヒルブランドは、新元素ヘリウムを発見していたにも関わらず見落としたことになるが、ラムゼー教授の発見に対して祝辞を送り、自分がヘリウムを見逃した失敗の原因について次のように述べたという。
 「化学的研究には多くの時間を費やしたが、 鉱山に関わる役人である自分には研究の時間がなかった」「明るい輝線を発見していたが、判別ができず、放電管の真空度が変ると少しスペクトルが変動するので異常現象のせいにしてしまった」「部下が新元素ではないかと提案していたことを握りつぶしてしまったことを後悔している」
   地質調査所という役所の仕事、実験結果を詳細に調べなかったこと、若手の技術者の提案を突拍子もないことと本気にしなかったこと、など現代人でも思い当たるようないくつかの理由によってヒレブランドは大発見を見逃してしまったということのようである。(なお、ヒレブランドの父親はドイツ生まれ、ハワイで活躍したことで知られる医師・植物学者のウィリアム・ヒレブランド。欧米人によく見られる親子で同じ名前で紛らわしいが、ウランの研究で知られるのは息子のウィリアム・フランシス・ヒレブランドの方である)
  ただし、その後、天然ガスの中から不燃性のガスを発見、地下に大量に存在するヘリウムを発見し、国家戦略として採掘、事業化に成功したのは米国である。
(4)空気中にもあったヘリウム
    1895年には、ハインリヒ・カイザー(18531940年、ドイツ)が、鉱泉の湧出ガス中にD3線スペクトルを発見、空気中にもヘリウムがあると報告した。
 レイリーは、空気中のアルゴンの中にD3線がみられないと報告、ラムゼーも空気中のヘリウムの存在を信じなかった。レイリーとラムゼーはアルゴンを探して空気を詳細に研究してきており、それまでに発見されていない空気中のヘリウムの存在を信じることできなかったのである。
 しかし、3年後、ラムゼーの研究室では、粗製ネオン中にヘリウムを検出、ラムゼーは自ら空気中にヘリウムが存在することを証明したのである。
  それまでの化学の常識を覆して数々の希ガスを発見してきたラムゼーは、一旦は信じなかった空気中のヘリウムの存在を自ら認めたのである。
  空気中のヘリウムの濃度はわずか5ppmしかないため発見が難しかったと思われるが、 鉱泉にはウランやラジウムが多く含まれるため、周囲のヘリウムの濃度が他の場所よりも高かったのではないだろうか。
    空気からヘリウムを発見したハインリヒ・カイザーは、分光学の権威であり、化学におけるスペクトルの膨大な地図を製作し、その名前は、波数の単位、カイザー[cm-1]として知られている(旧cgs単位、非SI)。
 また、カイザーは、「Adsorption」(英語はadsorption)という言葉を作り出した(1881年)ことで知られる。和訳は「吸着」である。化学工学の分離技術の中で最も広く用いられている操作は、蒸留と吸着であるが、蒸留が古代錬金術の時代から存在する古い技術であるのに対して、「吸着」は、非常に新しい科学であり、その言葉が作られ、吸着現象(表面科学)が研究されるようになったのは19世紀末のことである。
(5)新元素ヘリウムと希ガスの発見
    ラムゼーは閃ウラン鉱から、カイザーは空気からヘリウムを発見、ヘリウムは仮想の元素ではなく、実在する元素となった。
    ヘリウムが発見された「閃ウラン鉱(ウラナイト、uraninite)」は、10種類ほどある天然ウラン鉱石のひとつであり、希土類元素やトリウムなどを含み、多くの研究者がこれを研究対象とし、マリ・キュリーとピエール・キュリーがラジウムやポロニウムを発見したことで知られる。
 天然に存在する6つの希ガスのうち、一番軽いヘリウムと一番重いラドンは鉱物(ウラン鉱石)から発見され、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノンは空気から発見された。
   ヘリウム(地球上のヘリウム)とネオンはラムゼー、アルゴンはレイリーとラムゼー、クリプトンとキセノンはラムゼーとモーリス・トラバースによって発見されており、ラドン以外の希ガスの発見には全てラムゼーが関わっている。
 1907年、アーネスト・ラザフォード(18711937年、ニュージーランド、英国)は、新元素ヘリウム(イオン)が、ガラス管を透過することを発見、これがアルファ線であることを示した。
 ウランの崩壊によって生成されるラジウム(Ra)は、さらにアルファ崩壊(α崩壊)してラドン(Rn)になるが、この時、放出されるアルファ線(α線、α粒子)が、ヘリウム(4He)の原子核そのものであるということが示された。
    ヘリウムには、2つの安定同位体、3He4He が存在するため、ヘリウム原子核とα粒子は同義ではない。しかし3He の天然存在比が極めて少ないため、「α線、α粒子=ヘリウム・イオン、ヘリウム原子核」という関係が定着している。
 現代の科学技術を支える素粒子物理学は、19世紀末から20世紀にかけてのヘリウムの発見、4He原子核であるα線を用いた研究に始まり、ヘリウムが果たした近代の科学の発展に果たした貢献は非常に大きい。
  これらの研究は、同じ時代の熱力学の研究、ガスの液化、分離・精製技術、低温技術や高真空技術とも相互に密接に関係している。
   
(6)ロッキャーのヘリウム発見とラムゼーのヘリウム発見
   一般にはヘリウムの発見者はロッキャーとされているが、前述の奥野久輝先生は、次のように記述している。「ロッキャーらをヘリウムの発見者とするのは、いささか問題がある。ロッキャーは、自分の著書の中でもヘリウムについて全く論じることがなく、D3線については、おそらく水素の別の形態ではないかとしており、ヘリウムという名前をつけた本人がほとんど無視していた仮想の元素を実在の元素とした本当のヘリウム発見者はラムゼーである」という。
    ラムゼーは、自身がレイリーと発見した新元素アルゴンが化合物を作らないことが、化学の常識を外れており、なんとか化学反応を起こそうと様々な試みを続け、ことごとく失敗していた。そこで、天然の鉱物の中にアルゴンの化合物があるのではないかと考え、他の研究者がよく報告しているクレーベ石(Cleveite)を入手し、これを調べている時に偶然ヘリウムを発見した。
   1895年、ロッキャーが主宰するネイチャー誌には、次のような記事が載った。
 「われわれ(編集局)は、ラムゼー教授から次の報告を受けた。『予は、アルゴンの化合物に対する手がかりを探し求めていた。・・・クレーブ石はノルウェーに産する希産の鉱物で、ヒルブランドはこれを希硫酸と温めると窒素を放出すると述べている。・・予は、もしこの窒素と称せられるものが実はアルゴンであるとわかったら、ウランをアルゴンと化合させることができるか、試みるつもりであった。・・・試料気体について・・・残留気体はアルゴンとヘリウムの混合物より成るものであった!強く輝く黄色線は、ヘリウム線と一致する・・。予は、目下この気体を集めつつあるので、近くその性質について発表できるであろう。』」
   なお、閃ウラン鉱の変種である希土閃ウラン鉱には、クレーベ石という名前がつけられているが、由来となっているペール・テオドール・クレーベ(18401905年、スウェーデン)は、農芸化学の研究者であり、多くの植物の学名の命名者として知られている。ネオジム、プラセオジムの混合物を見出し、新元素ホルミウムとツリウムを発見している。