エンジンで見る
エフワンの歴史探訪
   


 
 
F1ワールド・チャンピオンシップとエンジン
まえがき
エフワンは一定のルールのもとでの自動車のレースです。
チャンピオンシップはドライバーとしてのワールドチャンピオン(世界選手権者)を決めるものですが、けっして同じ条件(イコール・コンディション)で競争しているのではありません。
車もエンジンもタイヤも燃料も基本的にはみな違います。同じ車、同じエンジンでの競争だったらエフワンは面白くないのです。
ドライバーだけでなくメーカーもチームも一丸となって競い合うところがエフワンの魅力なのです。
近年2000年代のエフワンのラップタイムは、車、ドライバー、タイヤに拠るところがだいたい同じくらいだと言われることがありますが、エンジンだって重要です。
昔のエフワンは、エンジンの競争だったことがたびたびあり、フェラーリチーム(スクーデリア・フェラーリ)などは車の名前は基本的にエンジンの型番からとっていた時代が長くあります。
たとえばフェラーリ125というのは125ccエンジンを積んだフェラーリという意味で、シャシー(車台)の記号ではありません。
もちろん125ccというのは1気筒の排気量なので、12気筒エンジンだと1500ccにはなります。
エンジン以外はおまけだというのがフェラーリさんの長い間の考えだったのですが、エフワンカーの歴史をエンジンの競争からみるのも興味深いものです。
1.世界選手権以前のフォーミュラカー

エフワンの世界選手権が始まるのは1950年の英国グランプリからですが、フォーミュラワンのレースはずっと前から行われていました。
この時代のレギュレーションはとても大雑把だったようですが、エンジンの規格だけはきちんと守られていたようです。
1500ccのスーパーチャージャー加給器付エンジンあるいは4500ccの自然給気エンジンが多いようです。
乗用車やトラックなどがターボチャージャーやスーパーチャージャーを使用するのは1980年以降ですが、レーシングカーの世界では1920年代にはすでにスーパーチャージャーが使われています。
1934年にフォーミュラ規定が改訂になります。
(1)最低重量750kg(2)車体の最小幅850mm(3)燃料は自由(4)レース最低距離500km。
エンジンは1500ccです。
現在(2000年頃)のエフワンカーはエンジンと車体のメーカーが異なるところが多い(フェラーリとトヨタとルノーが自社製エンジン)のですが、この時代はエンジンを作っているところと車体をつくっているところは同じです。
ドイツはアルフレッド・ノイバウア率いるメルセデス-ベンツ、フェルディナンド・ポルシェ率いるアウトウニオン、イタリアからはマセラーティ、アルファロメオなどがグランプリに出場していました。
ブガッティ(フランス)、ERA、MG、トライアンフ(英国)などもあります。
  アルファ・ロメオ・ティーポタイプB(タイプB)などが活躍しますが、エンジンは2.6リッターの直列8気筒エンジンだったようです。
直列8気筒というのはなんともバランスがよくないような気がしますが、レーシングカーなら平気なのかもしれません。
この頃はなんとも不思議なエンジンの車が見受けられます。
  ドイツのゾラ-はなんと2サイクルエンジンです。
詳しいデータはもっと調べてみない分からないのですが、2サイクル直列6気筒エンジンを2つ並列に並べたスーパーチャージャー付エンジンです。
おそらく排気量は1500ccです。
2サイクル6×2=12気筒スーパーチャージャー、すごいエンジンです。レースではオーバーヒートをしたようです。
  アミルカーなどはわずか1100ccエンジンですが直列6気筒のスーパーチャージャーです。
エンジン始動用のクランクがちょこんと前に出ているエフワンてすごい。

  モナコ・トロッシは飛行機のようなエンジンを載せています。
2サイクル星型16気筒エンジンは8気筒星型エンジンを2段に重ねたもので排気量は4.0リッター。
これでスーパーチャージャー付の1500ccエンジン車と競争するのですが、なんとも重そうです。
しかもこの車、前輪駆動車。
  極めつきはこのS.E.F.A.C.も不思議なフランス車です。
エンジンはサイド・バイ・サイド直列8気筒。直列4気筒エンジンはなんとDOHCでこれを並列ブロックとして8気筒です。
ツインスーパーチャージャーで排気量は2.8-3.0リッターのようです。
加給器付は1500ccまでなのでなんだかあやしいのですが、2気筒ワンセットで給排気としたのかもしれません。
トランスミッションはオートマチックです。
ややこしくてユニークで楽しいレーシングカーがいっぱいです。
  アルファ・ロメオ社に勤めていたフェラーリ氏が独立後にアルファロメオのために作ったビモータも極め付きに面 白い車です。
アルファロメオ・ビモータはその名前のとおりツインモーターの車です。前後にエンジンを積みまんなかにトランスミッションを置いています。
とんでもないパワーがあるように思えますが、これでうまく曲がったり止まったりできるのでしょうか。
タイヤの消耗もすごそうです。
ビモータというエンジン名を車の名前にしていますが、その後現れるアルファ車はエンジンの型式などを車名にしており、この伝統がフェラーリにも受け継がれるようです。
  30年代後半からはティーポ308やティーポ312が登場します。3リッターエンジンで直列8気筒、V型12気筒という意味です。
エンジン名が車の名前です。

1940年代は第二次世界戦争でヨーロッパは車のレースどころではありませんが、戦争後、復活して活躍したのはイタリアのアルファロメオでした。
1950年の世界選手権ではアルファロメオが全勝します。



2.1950年代
この時代は、まだコンストラクターチャンピオンというものがありませんが、1950年は間違いなくアルファロメオの年です。
全く別の車と別のドライバーで競い合うインディ500レースをF1世界選手権に加えなければアルファロメオ158が全戦全勝です。
1.5リッター直列8気筒エンジンなのでアルファ158と呼ばれます。
  新興のフェラーリはフェラーリ125V型12気筒エンジンで対抗しますが、かなわないため、加給器をやめて排気量 を大きくする作戦に出ます。
いきなりエンジンを大きくできなかったためフェラーリ275、フェラーリ340など色々な型番の車が登場しますが、いずれもエンジンの排気量 が車名です。
フェラーリ375では375cc12気筒の合計が4500ccなので規定一杯の排気量です。
アルファロメオから独立したフェラーリはまだワークスのアルファロメオには太刀打ちできなかっただろうと思います。
  1950年には英国のクーパーもグランプリに参加しています。
これはほとんどF3規定の車で出場しているのです勝負にはならないのですが、エンジンは運転席の後ろです。
JAP製のエンジンは空冷V型2気筒1100ccというトヨタパブリカのようなエンジンです。
(パプリカの登場は10年以上後で空冷水平対向2気筒800cc)
  200馬力以上はあるだろうと思われるアルファにおそらく50馬力程度のクーパーでは勝負にはならないはずですが世界選手権1年目にはミッドシップカーが出場していたことと、空冷エンジンがあったことは記録に残るのではないかと思います。
またクーパーのようにエンジンを作らずに別のメーカーが作ったエンジンを搭載するというのもとても珍しいことでした。
  1951年には英国のBRMがエフワンカーを登場させます。
英国の産業復興のシンボル的存在になるはずのBRMでしたが実際のレースには出場していません。
1500ccスーパーチャージャー付エンジンはV型16気筒です。
アルファロメオも1938年にティーポ316で3リッターV16エンジンを作っていますが、複雑なエンジンは信頼性や整備性では問題があるようです。
  シムカ・ゴルディーニ15はゴルディーニ製の直列4気筒1500ccエンジンです。
  同じフランスのタルボ-ラーゴT26Cはタルボ製4500cc直列6気筒エンジンです。
以前のような無茶苦茶なエンジンは見られなくなりましたが、それでも4気筒、6気筒、8気筒の直列エンジンから、12気筒、16気筒のV型エンジンまでこの時代のエンジンはバラエティにとんでいます。
2000年頃の全車V型10気筒3000ccエンジンという時代と比べるととても楽しそうです。
 
1952年と1953年のF1グランプリはなんとF2規定で行われいます。出場車を増やすのには良かったのかも知れませんがエンジンも車も全てF2です。 F1世界選手権は始まってすぐにピンチです。何といっても世界選手権と言いながらイタリア車しか勝っていないのですから。
  この頃大活躍したフェラーリ500は500cc4気筒(合計2000cc)エンジン。
日本の乗用車で言う5ナンバー規格のようなものです。プライベートチームから出場していたフェラーリ12気筒エンジン車もありましたが優秀なフェラーリ4気筒2000ccエンジンには太刀打ちできなかったようです。
シリンダーの数が多いほど速いとは限らないのです。
  1954年にはエンジンの規程が2500ccになり、加給器付エンジンは姿を消します。
1954年と1955年のグランプリを制覇したメルセデス・ベンツは50年、51年のアルファ同様直列8気筒エンジンです。
 直列4気筒を2つ縦に並べた直列8気筒はとても珍しいように思いますが、アルファやメルセデスのように何度もチャンピオンを獲得した優秀なエンジンです。

  この頃のエンジンは直列エンジンが多く、V型はランチアのV8エンジンだけです。
 もうV型エンジンは旧式になってしまったのでしょうか?
メルセデスの優勝によって、イタリア車だけでなくドイツ車も優勝、チャンピオンも獲得。やっと世界選手権らしくなってきましたが、と言ってもまだヨーロッパ中心です。
  直列エンジンばかりのなかでユニークなのは DBモノミル・パナールが搭載したパナール製水平対向2気筒エンジンです。
スーパーチャージャー付なのでたぶん750ccエンジンと思われます。世界選手権では唯一の前輪駆動車です。
あまり詳しい資料がなかったので色と形は想像で描いています。
  1956年も直列エンジンが多く、フェラーリのみがV型8気筒エンジンです。
56年と57年にフェラーリチームが使用した車とエンジンは撤退したランチアのものです。
  57年登場のポルシェは空冷水平対向4気筒エンジンです。
基本形はフォルクスワーゲン・ビートルと同じです。
フォルクスワーゲンを設計したのがポルシェ博士なのでレーシングカーも同じ型式のエンジンを採用しています。
  1958年からはコンストラクタチャンピオンシップが始まり初代チャンピオンはイタリア車ではなく英国のヴァンウォールです。
  ヴァンウォールの直列4気筒エンジンの排気管は運転席の横を通 って後ろまで伸ばされていますが、フェラーリやBRMやロータスなどフロントエンジン車の排気管がこのように配置されるのが流行です。
  同じ58年に登場したクーパーT45は、単にクーパーと呼ばれるのではなく、クーパー・クライマックスと呼ばれます。
エンジンメーカー=車体メーカー=チーム、というエフワンの従来の方式とは異なり、車体=クーパーカー社、エンジン=コベントリー・クライマックス社というように仕組みです。
クーパー以前にもコンノートがアルタエンジンを搭載していましたが、コンストラクタチャンピオンシップが始まったこの年にコンストラクタとはどんなものかが決まったようです。
  コンノート・アルタという言い方はしないようですが、クーパーの場合は、クーパー・クライマックスが正式なコンストラクタとなります。
この年にはロータス・クライマックスも登場していますので、エフワンエンジンメーカーという考え方が始まった年になるのかも知れません。
もしシーズン途中でエンジンメーカー(エンジンマニュファクチャラ)を変えた場合は、コンストラクタが変わってしまうためポイントは別 々になります。
後年、マクラーレン・ホンダとかウィリアムズ・ルノーといった言い方が普通になりますが、エフワンでこのような呼び方が始まったのは、クーパー・クライマックスとロータス・クライマックスの頃からです。
それまではドライバーだけの世界選手権だったものが、コンストラクターの競争という考えが始まった58年は歴史的な年になりました。

また、クーパーT45は自社製でないエンジンを積んだだけでなく搭載位置が運転席後ろ、いわゆるミッドシップレイアウトを本格的に採用した点も画期的です。 重いエンジンを重心位置に搭載して運動性能を良くするのがねらいです。

また他車が2500ccエンジンなのにやや小さめの2200ccエンジンを搭載しています。
翌59年と60年にはクーパー・クライマックスがグランプリを席捲し連続チャンピオンに輝きます。
エフワンは強力なエンジンだけで勝つ時代ではなくなったことを示したのがクーパーです。
クーパーの活躍はそれまでのF1を大きく変えてしまいます。

 

3.1960年代
60年代になるとエンジンがまた1500ccになり直列4気筒エンジン車が増えてきます。
エンジンのミッドシップレイアウトに遅れをとったフェラーリですが61年にはフェラーリ156を登場させて初のコンストラクターチャンピオンを獲得しています。
156というのは1500ccV型6気筒エンジン搭載車を意味しています。
  62年からはクライマックス(クーパーとロータス)エンジンやBRMもV型エンジンになり直列エンジンは逆に少数になります。
62年にグラハム・ヒルが初めてチャンピオンになったBRMプロト57のV8エンジンの排気管はVバンクの外側で一旦下に出た排気管をそのまま上に曲げた 上方排気になっています。2000年頃にほとんどのV10エンジンが採用した上方排気とレイアウトが似ています。こちらがオリジナルです。
  62年のポルシェ804は水平対向8気筒エンジンを搭載しています。
水平対向エンジンでなければポルシェではない、というこだわりを感じます。
実際に後年のフットワークのエンジンは水平対向ではないポルシェエンジンで大失敗に終わっています。
ポルシェがTAGの名称で作ったマクラーレン用のV6エンジンは大成功しているのでポルシェのバッヂには水平対向エンジンが必要なのかもしれません。
  64年登場のホンダはV型12気筒エンジンを横置きにしています。
この年のエンジンはクライマックスの直4、V8エンジン、フェラーリのV6、V8、V12エンジン、BRMのV8エンジンなどが登場しますが横置きはとても珍しいレイアウトです。
かつてブガッティT251が直列8気筒エンジンを横置きに搭載しています。
フェラーリは同じ車体に様々なエンジンを搭載したため、エンジン名=車体名のルールが乱れてしまいます。
  1966年にはエンジンの排気量が1500ccからいきなり2倍の3000ccになってしまいます。
あまりに急激な変更だったため準備不足のチームなどはエンジンが間に合わない事態に陥ってしまいます。
2000ccから3000ccまでのエンジンが乱れて参加したグランプリを制覇したのはレプコV8エンジンを搭載したブラバム・レプコBT20です。
もともとF1用ではなかったエンジンですが、信頼性を武器に強力なフェラーリやホンダのワークスエV12エンジン車を負かしてしまいました。
  3000cc規定のためにBRMが準備したエンジンはH16型です。
これは水平対向8気筒エンジンを上下に重ねて16気筒にするというとてもややこしいものです。
BRMとロータスに搭載する予定が遅れて混乱してしまいます。
BRMってとても複雑なエンジンが好きなようですが、チームロータスも巻き添えになってしまいました。
  67年はエンジンの混乱も落ち着いてまたパワー競争が始まります。
ホンダRA300のV12気筒エンジンの排気管はバンク中央排気で非常に芸術的な排気管になっています。
フェラーリ312も同じレイアウトです。これが本当の上方排気なのだと思います。
結果は、この年もブラバム・レプコが連覇するのですが、歴史的なエンジン、フォード・コスワースDFV-V8がロータス・フォード49に搭載されてデビューします。
  68年はパワーのあるコスワースDFV-V8を搭載する車が現れます。ロータス・フォード、マクラーレン・フォード、マートラ・フォードです。
フェラーリ、ホンダ、BRMは自社製エンジン、クーパーはBRMエンジンを搭載します。
ブラバムはレプコエンジン、ローラはBMWエンジン、イーグルはウェスレイクエンジンといった具合に、かつて自社製エンジンが当たり前だったエフワンもエンジンを買ってきて載せる方が多くなってきました。
フランスのマートラに至っては自社製のワークスエンジンを載せたマートラよりもコスワースエンジンを載せたマートラ・フォードの方が速い、という結果 をみて翌年は自社製エンジンをやめることになります。
69年は、ブラバムもコスワースエンジンになりホンダが撤退したため、自社エンジンはフェラーリとBRMだけになってしまいます。
エフワンエンジンは買ってくる時代になっていきます。



4.1970年代
70年にはレーシングカーの名門マーチがエフワンに参加します。エンジンはコスワースDFVです。
フェラーリの水平対向12気筒、BRMのV型12気筒、マートラのV型12気筒のエンジンとコスワースエンジンの競争ですがロータス・フォードがグランプリを制覇します。 71年はティレル・フォードがチャンピオンになります。参加2年目でのチャンピオンです。72年もロータス・フォードです。
自社製エンジンのチームはあるのですがどうしてもフォードエンジンに勝つことができません。
  71年のチーム・ロータスはロータス・フォードだけでなくロータス・P&Wでも参加しています。
プラットアンドホイットニーは有名なジェットエンジンのメーカーです。
キーンというジェットの排気音をたてて走るロータス56Bは四輪駆動のガスタービンエンジン車です。
  エンジンブレーキが全く効かないとか、アクセルの応答が非常に遅いとか欠点はあるようですが、レシプロエンジンのような振動もなく回りつづけるジェットエンジンの車です。
グランプリカーの多くがコスワースエンジンになっていく中での強烈な個性の1台がロータス56です。
73年はロータス・フォード、74年マクラーレン・フォード、78年ロータスフォード、80年ウィリアムズ・フォードとフォード・コスワースエンジン車がコンストラクタチャンピオンを獲得します。
ワークスエンジンではなくカスタマーエンジンで改良があるものの基本的には同じエンジンで68年からの81年までの間に10回もコンストラクタチャンピオンをとっています。
自社製エンジンで健闘したフェラーリもこの間に4回チャンピオンをとっていますが、70年代はコスワースDFVエンジンの時代だったのは間違いありません。
  ロータス・フォード72D。1974年エマーソン・フィッティパルディが最年少のチャンピオンになります。
コンストラクタチャンピオンはマクラーレン・フォードが獲得します。
   

5.1980年代
コスワースエンジン全盛の1978年にフランスのルノー公団が自社製のエンジンを搭載したエフワンカーでグランプリに登場します。ルノーRS10が搭載するエンジンは史上初のターボチャージャー付のエンジンです。

よく壊れるエンジンで1台体制で始めたルノーのF1挑戦ですが、83年にはポールポジションを獲得したり優勝したりできるようになります。 エンジン、車体、タイヤ、オイル、ドライバー全てがフランスというルノーチームの大健闘がエフワンエンジンの歴史を変えていきます。
  ルノーが速いことが分かってくると他のメーカーやチームもターボエンジンに注目し始めます。
81年にはフェラーリが同じV6ターボエンジンを開発してフェラーリ126Cに搭載します。タイヤもルノーと同じミシュラン製です。圧倒的な多数を占める コスワースエンジンに対してルノーとフェラーリは1500ccV6ターボエンジンで対抗することになります。
  1982年には新興のトールマンチームがハートターボエンジンで参加します。
ルノーやフェラーリといった大きなコンストラクタではないチームがターボエンジンでチャレンジを始めます。
1982年のドライバーチャンピオンはウィリアムズ・フォードのケケ・ロズベルグですがコンストラクタチャンピオンはフェラーリ・ターボが獲得します。 シーズン終了時にはBMWターボも登場しブラバムに搭載されます。 途中でエンジンを変えたためにブラバムチームはブラバム・フォードとブラバムBMWの2つのコンストラクタでポイントをわけることになります。
  83年はブラバムBMWに乗るネルソン・ピケがチャンピオンになりコンストラクターはフェラーリです。
いずれもターボエンジンです。
ついにターボエンジンの時代が来たのですが、先駆者ルノーにはその栄冠は輝きませんでした。
スピリットにターボエンジンを供給してエフワンに復帰したホンダは最終戦にはウィリアムズにもエンジンを供給します。
  ルノーはロータスに、BMWはATSにそれぞV12気筒エンジンを供給していますが、ワークスチームは自社製V8ターボを搭載しています。
同じターボエンジンでもBMWとハートは直列4気筒、ルノー、フェラーリ、ホンダはV型6気筒、アルファはV型8気筒と型式は3通 りになっています。
84年はマクラーレンがTAGポルシェのターボ、マーチを引き継いだRAMがハートターボ、リジェがルノー・ターボ、オゼッラがアルファ・ターボと次々にターボエンジンになっていきます。
アロウズは途中でエンジンを変更しアロウズ・フォードからアロウズBMWになっています。
シーズン終了時はティレルだけが自然給気のコスワースDFYエンジン(3500cc)になっています。
さすがのコスワースエンジンも最新のターボエンジンには全く歯が立たなくなり、85年途中にティレル・フォードがティレル・ルノーになり、全てターボ車となりフォードエンジン車がなくなります。
85年はモトーリ・モデルニV6ターボやザクスピード直4ターボも参入しています。
86年は各メーカーのターボエンジンのパワー競争が激化し1500ccエンジンは1000馬力オーバーのモンスターになっていきます。
85年にアルファロメオが撤退したため、86年は、自社製エンジンを搭載するコンストラクタはフェラーリとザクスピードだけとなります。
他のチームは、ホンダ、ルノー、BMWといったエンジンメーカーの強力なターボエンジンを搭載します。
フォードが直4ターボエンジンを開発しハースチーム(コンストラクタはベアトリス)に搭載してグランプリに復帰します。
  87年にはフォードが本格的に復帰します。ローラやティレルには自然給気のコスワースDFZ-V8エンジンを供給しました。
こちらは、ベネトンB187/フォードV6ターボです。87年のフォードは2種類のエンジンを供給します。
89年からはターボエンジンが禁止されることになっていましたが、フォードはベネトンのために1年間だけV6ターボエンジンを用意しました。
翌88年にはベネトン・フォードも自然給気エンジンに変えています。
  89年に加給器付エンジンが禁止され2003年現在、スーパーチャージャーやターボチャージャーのエンジンは禁止されたままです。
89年からのエフワンエンジン規定は3500cc以下の排気量です。
ターボエンジン禁止にともなって各エンジンメーカーはエンジンを全く初めから開発しなおすことになりす。
フェラーリ、ランボルギーニは12気筒、ルノー、ホンダは10気筒、フォード・コスワースとジャッドは8気筒でいずれもV型エンジンです。
  マクラーレン・ホンダMP4/5が搭載したエンジンのV型10気筒という例のないレイアウトです。
重いがパワーのある12気筒とパワーで劣るが軽量の8気筒の間をとった感じです。
ホンダとルノーが選択したV10は 壊れることもなくマクラーレン・ホンダがチャンピオンを獲得します。

 

6.1990年代
91年にホンダはV12気筒エンジンをマクラーレンにV10気筒エンジンをティレルに供給することになります。
フェラーリ、ランボルギーニ、ヤマハ、ホンダが12気筒、ルノー、ジャッド、イルモア、ホンダが10気筒、フォードコスワースとフォードが8気筒エンジンというラインアップとなります。
フットワークへV型12気筒エンジンを供給してグランプリ復帰をはかったポルシェは全く競争力がないことがわかりすぐに撤退、フットワークは急遽コスワースエンジンに交換することになってしまいました。V12エンジンが重すぎたようです。
  92年にはルノーV10エンジンを搭載したウィリアムズ・ルノーがグランプリを制覇。圧勝します。
ターボエンジンでエフワンに登場し、ルノーチームとしてはタイトルをとることができませんでしたが、ウィリアムズへのエンジン供給という形でついにタイトルをとります。
ホンダV10エンジンはエンジンチューナーの無限に引き継がれましたが、ワークスのホンダV12エンジンはこの年で撤退です。
  エフワン・エンジンの歴史探訪はユニークさという点では、だんだんつまらなくなってきます。もちろん毎分2万回転に近い高性能エンジンの技術競争もあるのですが、型式がだんだん絞られてきます。
94年には12気筒エンジンはフェラーリだけとなりV8のフォードに対して、ルノー、プジョー、ヤマハ、無限などがV10エンジンになります。
96年にはついにフェラーリもV10エンジンとなりV12エンジン車がなくなります。
トヨタがF1参加計画を立てたときはV12エンジンを企画していたようですが、規定が10気筒までになってしまい12気筒は参加できないことになりました。
今後、規定が改訂されない限りは95年のフェラーリが最後の12気筒エンジンということになります。
これ以降のエンジンはしばらくはV10とV8のエンジンが両立するのですが、パワー競争の結果 全てV10エンジンになってしまい現在(2003年)まで続いています。そういった意味ではV10エンジンで勝ち続けた92年のルノーエンジンは歴史に残るエンジンだと思います。

F1の始まった頃のユニークなエンジンに比べたら21世紀初めのエンジンは少しも面 白くないエンジンです。
また何か面白くなる時を期待してエンジンで見るエフワンの歴史探訪をおしまいにします。