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第80回 4章 ガスの科学と物質の階層構造

 2018/10/14

  4−3 中くらいの階層・メゾスコピック

 
 

見えないガスの階層
 気体の存在が認識されたのが350年前、理想気体の法則が確立されたのが200年前、実在気体の最初の状態方程式が得られたのが150年前、分子の存在が実証されたのが110年前、全ての気体が液化されたのは、わずか100年前である。
 ガス分子は、見えないが、確かに存在し、その存在を疑う人はいない。しかし、ガスの製品は、どれだけの量を集めてもほとんど無色透明である。さらに、通常は、金属製や複合材料製の高圧ガス容器や配管の中に閉じ込められているため、その実体を目にすることはない。また、空気以外のほとんどのガスは、人体に有害であるから、ガスを容器から取り出して五感で感じることもできない。
   「ガス臭い」という言葉があるが、空気も酸素も窒素も、都市ガスやLPGもほとんどのガスは無臭である(人間の嗅覚とは化学反応しない)。一般的な可燃性ガスが匂うのは、漏洩を嗅覚で検知しやすいように付臭(ふしゅう)、あるいは着臭しているためで、匂うのは付臭剤あるいは着臭剤によるものである。メタン、エタン、プロパン、ブタンなどの主成分は無臭である。都市ガスが一般家庭で広く使用されるため、漏洩をすぐに知らせるためにこのような方法がとられている。
 産業ガスの場合は、通常は、付臭剤を混入しては使い物にならないため無臭であり、漏洩しても嗅覚で検知することはできない。半導体材料ガスの中には、有臭のものが多いが、そもそも微量の漏洩も許されないガスばかりであり、嗅覚による検知ではなく高感度の検出器と安全設備が整えられているところでのみ使用される。
   液化されたガスは、多くの場合、無色透明であり、通常は容器の中にあるので直接見ることはできず、低温であるため触れることもできない。
液体酸素は、わずかに青味がかっているが、取扱いに注意を要するので、直接、見る機会はかなり限られる。液体酸素は、その他の化学物質や薬品などと同様、専門知識のない者が扱うの危険である。低温液化ガスを紹介する展示でも、液体窒素が使われることはあるが、液体酸素は取り扱いに注意が必要であるため、ほとんど使われることはない。液酸ブルーという言葉もあるが、非常に淡い青色なので、コバルトブルーのようなあざやかな青色を想像していた人は少しがっかりするようである。
   産業ガスは、工業や医療の素材であるが、鉄鉱石から鉄が生産されたり、鉄が加工されて機械になったり、化成品がプラスチック製品になったりする原材料とは利用の方法がかなり異なる。鉄鉱石、セメント、木材などは原材料がそれなりの重量となって製品に変わるが、ガスは、使った後にどこにも残っていないように感じる素材である。多くは、雰囲気ガスとして消費され、酸化反応や半導体の材料として利用され、他の製品の製造工程において、ガスの機能が利用される。素材ではあるが、原材料ではないため、最終製品に占めるガスの重量は、わずかである。
ガスビジネスでは、触れることができない「もの」を売買しており、ガスを売るということは、中身(組成など)が保証されたガスを売るということであり、ガスを買うということは、製造者を信用してガスの機能を買うということである。
 都市ガスやLPGのような燃料ガスも機能を販売、燃焼や冷暖房に直接用いられるため、その機能は、熱量として直感的に分かりやすい。お湯を沸かしたり、調理したりする熱源は理解しやすく、種類にもよるが、普通は炎を見ることもできるので「何となく見える」。これに対して、産業ガスは、提供される機能が熱源ではないため、直感的には分かりにくく、ガスを利用した「結果」も顧客によって様々である。要するに、ガスを利用した結果が重要であって、容器や配管の中に本当は何が入っていたのかというのは、直接は確かめられていないのである。産業ガスの供給者は、正しい方法でガスを製造し、時にはそれを詳細に分析し、ガスの持つ機能を保証している。分析計などを使って測定した組成が非常に重要であるが、本当に重要なのはガスを利用した結果である。ガス屋は、顧客がガスをどのように利用し、どのような機能・性能を必要としているかを知ることが非常に重要である。
    普段は、あまり意識することがない「階層」であるが、ガスの利用範囲、その階層は、非常に広い。ガスの製品・商品・技術を理解するためには、対象はどの階層にあるのかを思い浮かべ、使おうとする理論、手法、道具やその仕組みは正しくその階層に対応しているのか、見えないものを想像する力が必要である。
 産業ガスビジネスでは、ガスの同位体(同位体化合物)も取り扱う。同じ元素でありながら異なる核種を持つ原子を同位体と呼び、そのうち安定なもの(安定同位体)を製造・仕入・加工(標識化合物の合成)、供給するのが安定同位体ビジネスである。化学種として同じ元素である同位体の違いは、原子核の重さの違い(質量数の違い)であり、原子核の階層(10-14m)は原子や分子の階層(10-10m)とは4桁も異なる。原子や分子の常識や議論を原子核にそのまま持ち込むことはできない。同位体ビジネスでは、分子と原子核の階層が大きく異なることを忘れないようにすることが重要である。
マクロスコピック(巨視的世界)とミクロスコピック(微視的世界)の境界
   人間の住む日常の世界は、およそ1mmよりも大きな世界である。ガスの分子の階層は10-10mほどであり、その間には7桁くらいの開きがある。古代より物質をどんどん小さくしていくと、それ以上分割できない最も小さな単位があると信じられてきて、自然界はいくつかの「元素」から成ると考えられてきた。近代になってその元素は原子からなり、我々の世界は原子を組み合わせて作られた分子がたくさん集まって作られていることが分かってきた。多くの科学者が、どんどん小さなものを探求していけば、最も小さな単位にたどり着き、これを理解できれば、それ以上大きなものは説明できると考えた。最終的にはそれ以上分割できない「素粒子(基本粒子)」が理解できれば、より大きな階層は全て理解できるという「還元主義」的な科学思想である。
  一方、人間や生物など、極めて複雑なマクロな存在は、簡潔なミクロな存在をいくら積み重ねていってもとうてい理解できないだろうという考えもある。ミクロの世界を支配する量子論の世界と19世紀までは世界のほとんど全てを記述してきた古典力学の世界の間には、簡単には埋められない大きな溝、常識の違いが存在しているからである。
  人間の世界、マクロの世界の常識は、ガス分子やそれよりも小さなミクロの世界では通用しない。原因と結果について決定論的に考えるマクロの世界の常識は、確率(振幅)でしか記述されるミクロの世界(不確定性原理)では通用しない。
  たとえば、マクロの世界は「有老有死」である。発生、進化・成長、劣化、消滅は、生物から、人工物、宇宙の進化まで同じように起こる。これに対してミクロの世界は「不老有死」である。全ての物質(粒子)は必ず「壊れる」が(現時点では陽子の崩壊は確認されていない)、古い粒子と新しい粒子というものはなく、同じ粒子は同じ半減期(あるいは寿命)を持っている。粒子が作られた順番は関係ないのである。時空の常識も異なる。マクロの世界では、熱力学時間の矢があり、エントロピーが増大する方向、すなわち過去から未来の方向にしか時間が流れない。一方、ミクロの世界にはそのような制約がなく、反粒子は時間を逆行する。
中くらいの階層・メゾスコピック(mesoscopic)
   実際には、マクロとミクロの階層としての境界線はどこにあるのか、はっきりとした線引はない。しかし、大きな階層と小さな階層の境界には、現在、注目されている「ナノテクノロジー(ナノテク、nanotechnology)」に代表される「メゾスコピック領域」があり、ここを境に大きい方をマクロスコピック、小さい方をミクロスコピックと考えることができる。ナノテクノロジーとは、「ナノスケールにおける特異な物理現象」を利用する技術であり、これは、マクロスコピックとミクロスコピックの境界、メゾスコピックの概念によるものである。
「ナノ」
   ナノは、SI単位などで10-9を表わす接頭辞(unit prefix)であり、マイクロ10-6と同じく、小さいという意味のギリシア語に由来する。ナノテクノロジーは、ナノメータ―(nm)という長さに特徴を持つ技術を指している。
 
 表に比較的よく使われるSIの接頭語(SI接頭辞)の例を示す。この他にも、ペタの上に3つ、ピコの下に3つ、センチとミリの間にデカがある。
 日本語は、接頭辞だけを示して肝心の単位の方を省略することが非常に多く、会話の中だけでなく印刷物でもよく見かける。時速100キロと言えば100km/hであり、15ミリの隙間と言えば15mmである。気象のニュース報道ですら、降水量を、時間100ミリ(降雨)、一晩50センチ(降雪)などと表現し、100ミリメートルや50センチメートルと正確に言うことの方が珍しい。画面の表示にはメートルとあっても読まれていない。
 「1m50cm」の読み方を小学校では「1メートル50センチメートル」と正確に教えている。しかし、ほとんどの大人は、これを「1メートル50センチ」と読み、後ろのメートルを省略して話している。さらに「1メートル50」とセンチまで省略することもあり、この場合の50は、50センチメートルなのか50ミリメートルなのか、はっきりとしない。
  高圧ガス機器の設計や製作現場では、聞き間違いを防ぐためにセンチメートルを使うことはあまりない。通常、1m50は、1050ミリを意味しており、1m50cmは1500ミリあるいは、1メーター500である。しかし、業種によっては、暗黙の了解が異なり、 「1メートル50」は、1050mmとも1m50cmともいずれにもとれる。

表-比較的よく使われるSI接頭辞

接頭語

記号

実例

ペタ

1015

P

1国の年間のエネルギー消費量、ペタジュールPJ

テラ

1012

T

ハードディスクの記憶容量、テラバイトTB。1国の年間の発電量、テラワットTW

ギガ

109

G

通信速度:ギガビット毎秒
不揮発メモリーの容量256ギガバイト、
大型の発電所の出力1ギガワット=100万キロワット

メガ

106

M

様々な物理量から日常まで多数。メガパスカル(高圧ガス)

キロ

103

k

様々な物理量から日常まで多数。キロメートル、キログラム、キロパスカル。ここから下の接頭語は全て小文字になる

ヘクト

102

h

例外的に3の倍数ではない。ヘクタール、ヘクトパスカルなど

センチ

10-2

c

例外的に3の倍数ではない。センチメートル、センチポアズ。センチリットルなどは日本では使わない

ミリ

10-3

m

ミリグラム、ミリメートル、ミリアンペアなど実例は多数

マイクロ

10-6

μ

マイクロ波、マイクロマシン、マイクロコンピュータなど「小さい」という意味で用いられる。

ナノ

10-9

n

ナノメートル、ナノ秒。ナノテクなど

ピコ

10-12

p

ピコ秒、ピコリットル

フェムト

10-15

f

フェムトメートル

    高圧ガスの業界で15メガといえば15メガパスカル(15MPa)、70メガといえば70メガパスカル(15MPa)である。圧力が、150kPaの場合は150キロと省略せずに、150キロパスカルと読む。「圧力150キロ」というと、昔の圧力の単位「150kgf/cm2G」と勘違いする可能性があるので、150キロパスカルは、150キロと、途中で切ることはしない。
   キログラムやギガバイトでもグラムやバイトが省略される。SIの場合、接頭語のキロとグラムには特別な関係があり「キログラム」がひとつの基本単位になっているが、それでも日本語ではキロだけで会話が成立してしまう。単位そのものを省略して、接頭辞だけでほとんどの会話が通じる言語はあまり多くはないので、日本語以外の言葉でコミュニケーションを行う場合には、注意が必要である。
ナノテク
   大きな階層を巨視的な領域=マクロスコピック(macroscopic)と呼び、小さい階層を、微視的な領域=ミクロスコピック(microscopic)と呼ぶ。その境界は、およそ10-9m(1nm)近辺にあり、メゾスコピック(mesoscopic)と呼ぶ。ミクロスコピックをミクロと縮めると、マイクロや長さのミクロンと混同しやすいので、ここでは縮めずにミクロスコピックと書くことにする。合わせてマクロスコピックもマクロと縮めないことにする。マクロスコピックとミクロスコピックでは、現象の見え方や考え方など、非常に多くのことが異なるため、この境界は非常に重要である。われわれは、マクロスコピックな階層にいるため、メゾスコピックやミクロスコピックの世界の常識や法則を簡単に受け入れることができない。
   階層を大きい方から次第に小さい方にみていくと、メゾスコピックのあたりから、ミクロスコピックの不思議な性質が現れ始める。それまでの常識とは異なる世界が現れてくる。考え方や見方を大きく変えていかなくてはならないのが、このメゾスコピックである。したがって、マイクロメータ(10-6m)は、人間の目から見ると確かに小さいが、ここはまだマクロスコピック、巨視的領域であり、ただ長さが小さいだけである。しかし、ナノメータ(10-9m)は、メゾスコピック領域であり、単に小さいだけではなく、微視的な領域、量子の階層が近づいてくるため特異な現象が現れ始める。
   ナノテクノロジーは、リチャード・フィリップス・ファインマン(1918〜1988年、米国)が1959年に提唱したメゾスコピックの概念を基本とする「ナノスケールにおける特異な物理現象」を利用する技術分野である。
  ファインマンより100年前、マイケル・ファラデーは、金の塊と金のコロイドの光学特性が異なることを発見し、「同じ物質でも、大きさが異なると性質が異なる」という、現代のナノ科学につながる概念を見出していた。しかし、それが、メゾスコピックの階層の現象としてはっきり認識されるようになったのは、20世紀になってファインマンがこの概念を提唱してからである。
    ナノテクといえば、ナノ素材分野が注目を浴びることが多いが、ナノデバイス分野のナノテクにも大きな発展が期待されている。
  10-6mの階層を利用する微小デバイスは、マイクロマシンあるいはMEMS(Micro Electro Mechanical System、メムス)として既に実用化が進んでおり、スマートフォンや自動車など身近な物に利用され、広く知られるようになった。これに対して、ナノテク10-9mは、原子・分子の階層10-10mに近いテクノロジーである。現在は、さらに小さな10-9m階層で機械動作を伴うナノマシン(nanomachine)や微小構造を持つNEMS(Nano Electro Mechanical Systems、ネムス)も実現へ向けた研究開発が進められている。
   ナノテクには、
  @ナノ素材分野:カーボンナノチューブ(carbon nanotube、CNT)のようなナノ材料、ナノ粒子、ナノ物質
  Aナノデバイス分野:半導体素子の自己組織化(セルフ・アセンブリー)
  Bバイオ利用分野(バイオセンサ、ゲノム創薬、ドラッグデリバリーシステム)
など、 非常に多くの有望な技術が含まれている。
   ファインマンは、メゾスコピックを提唱した時、「将来この技術によって百科事典の全てが針の先ほどの大きさに記憶できるだろう」と予言したが、まさにその予言は的中しつつある。
リチャード・フィリップス・ファインマン
 
 ファインマンは、量子電磁力学への貢献によって朝永振一郎とノーベル物理学賞を受賞(1965年)した素粒子物理学者であり、素粒子の反応過程を表わすファインマン・ダイアグラムが有名である。ファインマン・ダイアグラムは、素粒子だけでなく、陽子や中性子などの複合粒子の反応にも用いられ、物理学における反応過程の標準的な記述法になっている。
 ファインマンは、物理学の教科書「ファインマン物理学」や、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』シリーズなどを執筆、さらに数々の逸話でも知られる有名人である。ファインマンの専門は、量子電磁力学や数学(量子力学の理論手法である経路積分など)であるが、多彩な才能を持ち、様々な分野で活躍した。
 
    量子の確率過程を拡散方程式として定式化するファインマン−カッツの公式は、シュレーディンガー方程式の解のひとつとして得られているが、金融工学にも応用されている。ファインマンは、技術・工学の分野でも活躍しており、1980年代にその概念を提唱した量子力学的な重ね合わせを用いる「量子コンピュータ」は、現在も実現に向けた研究が続けられている。
 米国NASAのチャレンジャー号爆発事故の調査委員会のメンバーとして安全文化に対する提言も行っており、理論物理学者の枠を越えて活躍した。数学と物理学の天才ファインマンが、本業以外で示した業績のひとつメゾスコピックの概念の提唱は、今まさに実用化へと進みつつある。哲学や科学の様々な分野で活躍した万能人としては。16世紀のガリレオ・ガリレイ、17世紀のロバート・フック、19世紀のマイケル・ファラデーがいるが、20世紀の万能人と言えるのは、物理と数学の天才ファインマンではないだろうか。
 
ファインマンさんの流儀(ローレンスMクラウス) ご冗談でしょう、ファインマンさん
(リチャード P. ファインマン)
困ります、ファインマンさん(リチャード P. ファインマン)
ミクロの世界はミクロン(μm)ではなく、ナノ(nm)から
   マイクロには、小さいという意味があり、「巨視的/マクロスコピック」に対して「微視的/ミクロスコピック」という用語が使われるが、長さの単位であるマイクロメートル(μm)が10-6mであるため、かなりややこしいことになっている。
   よく耳にする「ミクロの世界」と言うのは「小さな世界」という意味であるが、文字通り、ミクロン10-6mを指すこともあれば、本当にミクロスコピックな世界を意味する場合もある。「ミクロの世界」が、ミクロンの長さを持つということであれば、これは、小さなマクロスコピックの階層(小さいけれどマクロの世界)のことであり、原子や素粒子のような量子の世界を表わすのであれば、ミクロスコピックの階層(物理学における本当のミクロの世界)のことである。
   小さいという意味を持つマイクロから「ミクロン」という長さの単位が作られ、結果的にその長さは、物理学としては、「それほど」小さくはなかった。最も大きなミクロスコピックをメゾスコピックのすぐ下だとすると、10-10m、ミクロンは最も大きなミクロスコピックよりも1万倍も大きいのである。
   長さの単位「ミクロン(micron、記号はμ)」は、国際度量衡総会において廃止され(1967年)、現在は、SIには含まれていない。ミクロンが廃止されてから既に半世紀たつが、日本の計量法では、暫定的に使用が許されて1997年に禁止された。ミクロンは、1879年から長期間使われていたこともあって、かなり多くの文献や書物にミクロンという記述が見られる。
   計量法は「取引又は証明において非法定計量単位の使用を禁止」しており、基本的には、国際的な基準SIに統一し、国内の工業規格であるJISとも整合性をとる方向にある。歴史的な経緯もあって計量法には一部に非SIがあり、カロリー(栄養)、mmHg(血圧)、体積のトン(船舶)、ノット(航空)、オングストローム(結晶)などが用途を限定して使用が認められている。長さの単位ミクロンは、暫定的に使用が認められていたが、禁止後は、坪や尺、石高、貫目といった古い単位と同様、公共の場や取引には使用することはできなくなっている。μあるいはμmをミクロンと読むことできない。
   ミクロンが廃止され、10-6mの長さには、マイクロメートル(μm、micro metre)が正式に使用されるようになったため、μとμmの混乱はなくなった。しかし、ミクロスコピック(ミクロな世界)は、メゾスコピックよりも小さい階層であり、μm(μメータ)は、メゾスコピックより3桁も大きいマクロスコピックの階層(マクロな世界)であるということには変わりはないため、ミクロという言葉の使い方は難しいままである。
   一方、長さの単位が、マイクロメートル(micrometre)になったため、測定器のマイクロメータ(Micrometer)と紛らわしくなった。日本語では、「マイクロ」、「ミクロ」、「メートル」、「メータ」を使って微妙に使い分けており、長さを測る測定器は、「マイクロメータ 」、顕微鏡で使う場合は、「ミクロメータ」、長さの単位は、「マイクロメートル」である。英語では、微妙に綴りが異なるが、同じ発音であり、米語の場合は、綴りも同じmicrometerである。また、機械式のマイクロメーターとは全く異なる測定の仕組み、空気流を用いて非接触で長さを測る「空気マイクロメータ」もマイクロメーターの名称を用いる。
 
マイクロメートル、マイクロメーター、ミクロメーター
英語、米語
日本語
具体例
micrometre
micrometer
マイクロメートル
(長さの単位、古くはミクロンとも呼んだ)
10-6m
μm
micrometer
micrometer screw gauge
マイクロメータ
(長さの測定)

平マイクロメータ、一般的な精度は10マイクロメートル(0.00001m)程度。
ocular micrometer
stage micrometer
ミクロメータ
マイクロメーター
(顕微鏡用)

接眼ミクロメータ(ocular micrometer
   ナノメートルは、マイクロメートルの1000分の1しかない極微の世界である。
  20世紀後半から、ナノテク分野の数々の研究成果が、一般にも知られるようになった。フラーレンの発見(1985年)、カーボンナノチューブの発見(1991年)、走査型トンネル顕微鏡の発明(1982年)、金属ナノワイヤー、グラフェン(2003年)、量子ドットなどが注目された。日本では、「ナノサイエンスあるいはナノテクノロジーにおける研究業績」に対して授与される「江崎玲於奈賞」が2003年に創設され、ナノテクは、ひとつの科学領域・技術分野として評価され、その成果が大きく期待されるようなった。
ナノテクノロジー、ナノサイエンス
   ナノで始まる言葉が増えている。ナノスケール、ナノテクノロジー、ナノ工学、ナノサイエンス、ナノマシン、ナノ材料、ナノインプリント(LSI技術)、ナノプロセス、ナノクラスター、ナノピンセット…など、すぐには、どのような技術なのか理解するのが難しいほど多くの言葉が作られている。ナノサイエンスや、ナノ工学などの名称を冠した大学の専攻や研究室なども現れている。
   ナノという言葉がハイテクをイメージさせる流行語となっている。昔、10-6mと関係のないところで、小さいという意味でミクロがよく使われたことがあったが、ただ単に「小さい(技術)」という意味だけで、10-9mとは離れたところで、ナノという言葉が使われることもある。たとえば、水中の小さな気泡を利用する技術を「ナノバブル」と呼ばれたことがあったが、実際は直径20μmから1μm 以下の微細な気泡を利用する技術であり、現在は、「マイクロバブル」と呼ぶのが一般的である。1nmは原子の大きさの10倍程度であるから、さすがにそこまで小さな気泡は考えにくい。水に溶解しにくい気体をマイクロバブル(数百nmから数十μmの気泡)やミリバブルとして「溶解」させるガス・アプリケーションが考えられている。
   ナノ粒子(nanoparticle)と呼ばれる物質には、その大きさが、1〜100nm(1nm〜0.1μm)ほど、2桁ほどの幅があり、ナノメートルからマイクロメートルの間の粒子の持つ特異な現象が利用される。たとえば、カーボンナノチューブ(CNT、carbon nanotube)は、直径が0.4〜50nmという非常に微細な構造を持ち、その物性を利用した応用技術の開発が進んでいる。
   カーボンナノチューブは、グラファイトの単原子の層(グラフェンシート)で円管を作ったような構造を持つ微細な「チューブ」であり、単層のものをシングル・ウォール・ナノチューブ (SWNT)、多層のものをマルチ・ウォール・ナノチューブ (MWNT)と呼ぶ。SWNTは非常に大きな比表面積を持つ。
   CNTは、半導体材料(構造よって電気伝導度が変わる)、燃料電池(高い導電性と大きな表面積をもつ)、顕微鏡の探針、構造材料(軽量、高強度)、複合材料、など実に様々な利用が考えられており、次世代のハイテク材料として期待されている。
 様々なナノテクノロジーが、脚光を浴びるようになり、CNTのようなナノテク材料の実用化が期待されるようになってきたが、その歴史は古い。CNTは、1970年代にソ連で発見され、1980年代に遠藤守信(1946年〜、信州大学)がその製造法を研究、その後、飯島澄男(1939年〜、NEC筑波研究所、産業技術総合研究所)が、物質の構造として正式に発見、CNTを再発見した(1991年)。
   一方、CNTの二次元構造(1.4nmの筒)中の電子の特異なふるまい(1次元性)が朝永−ラッティンジャー液体模型によって予言されたのは、半世紀上も前である(1950年)。江崎玲於奈(1925年〜、東京通信工業、IBM)が、一次元の周期的な構造変化を有する人工単結晶「半導体超格子」の概念を提案したのは、1969年である。
  江崎は、固体でのトンネル効果を初めて実証、「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」によってアイヴァー・ジェーバー(1929年〜、ノルウェー、米GE)とともにノーベル物理学賞を受賞している(1973年)。ナノメートルサイズの研究や応用技術の開発は容易ではない。朝永振一郎らの理論が、KEKの放射光研究施設における実験によって、実際に確認されたのは、53年もたった2003年である。
   表にマクロ、メゾ、ミクロの関係をまとめる。
 科学(物理学)では、古典物理学が通用する範囲と現代物理学(量子論)でなければ説明できない範囲の境界が比較的はっきりしており、10-9mメゾスコピックを境に、マクロスコピック(巨視)とミクロスコピック(微視)が分けられている。
  これに対して、生物や工学の分野は定義や境界がややあいまいであり、10-6 mという科学の階層としては、かなり大きなサイズでも「ミクロの世界」と呼ぶことがある。科学の分野ではマクロとして取り扱う領域、マイクロメーターの大きさをミクロと呼ぶ分野が混在するため少々ややこしい。
 

表-マクロ、メゾ、ミクロの関係

大きさ

科学(物理、化学)

工学、生物学

イメージ

1010m〜

マクロの世界

宇宙、望遠鏡

10-6m

ミクロの世界↓

細菌、ミクロン

10-8m

マクロスコピック

マクロの世界

ウィルス、電子顕微鏡

10-9 m

メゾスコピック

ミクロの世界

ナノメートル↓

ナノテク

10-10 m

ミクロスコピック

 

オングストローム

原子、分子

10-12 m

 

原子核、同位体

10-15 m

素粒子の世界

電子、素粒子