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空気の研究の前には、まず真空の研究があった。 ボイルが空気の研究を始めるきっかけになったのはゲーリケによる有名な「マクデブルクの半球」実験である。これを知るには、その少し前にあった真空嫌悪説のことや、ガリレオ・ガリレイやトリチェリーによる真空と空気の研究の話から始めるのがよいと思う。 17世紀、目の前にあるはずの「空気」を研究しようとすると、まずは「空気のない状態」 を作ることができるのかが大きな課題である。空気のない状態を当時は「真空」と呼んだ。まだ、分子というものが考え出されるずっと前のことである。 ゲーリケの時代、空気の分子という概念はまだないが、目に見えないがおそらくわれわれの周りには「空気」というものがあって、これを除去していくとその容器の中は「真空」になると考える学者がいたが、自然哲学の主流には、「自然は真空を嫌うのでそのようなことはできないとする」真空嫌悪説があった。 17世紀まで、自然界の現象を理解する手法の主流は、「スコラ哲学的」な証明方法であり、古代ギリシアのアリストテレスや17世紀の哲学者ルネ・デカルト(1596〜1650年、フランス)が提唱した真空嫌悪説もスコラ哲学的な概念のひとつである。 自然は真空を嫌い、真空状態を作ることはできないということが「哲学的に証明」されていたという。科学の時代に生きる現代人は、実験や観測や経験などの様々な情報と理論から、矛盾なく理に適ったものを「科学的に証明された」もの「科学的なもの」と考えるようになり、そうでないものを「非科学的」「似非科学」と考えるようになったが、当時は、学者などが行う実験や観測は、曖昧で信頼性に欠けるので、哲学的思索が理に適っていることの方が重要であり、実験結果や事実は人間の思い込みや誤解によるものと考えられていた。 |
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ガリレオ・ガリレイとその弟子エヴァンジェリスタ・トリチェリ(1608〜1647年、教皇国ファエンツァ)は、真空嫌悪説に疑問を持ち、水銀とガラス管を用いて行った有名な実験「トリチェリの真空」によって真空を作り出してみせた(1643年)。
しかし、スコラ学派の人たちは、トリチェリのガラス管には、人が検知できないほど小さな穴があいており、そこから空気が入っているだけであり、真空は存在しないと否定した。トリチェリの実験では、水銀の重さによってガラス管の上部に真空状態が作られたというのが「科学的」な真実であるが、それを証明することは難しく、当時の人たちを納得させることはできなかった。科学の実験よりも観念の方が重要なのである。 11世紀に欧州で生まれたスコラ学は、宗教と哲学が結び付けられ、神学をはじめ、自然哲学、自然科学など様々な分野に応用されていたが、その手法・方法論は現在の科学とは大きく異なり、宗教的教義に束縛されるものであった。デカルトは、そのようなスコラ学を厳しく批判し、合理主義哲学の祖となったが、その方法論はスコラ学であり、真空嫌悪説を主張した。 ガリレオ・ガリレイとトリチェリによって、トリチェリの真空の実験が行われた時、水柱や水銀柱は、ある高さにまでしか登らないことや、その高さは日によって異なることが分かっており、 真空嫌悪説には限度があるようにも思われたが、完全には真空嫌悪説を打ち破ることはできなかった。 |
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ゲーリケが発明した「真空ポンプ」によるマクデブルグの実験によって、真空嫌悪説が打ち破られた。 | |||||||
なお、20世紀の科学では、物質のない状態を「古典的真空」と呼び、エネルギーが最小の状態を「科学的真空」「真の真空」などと呼ぶ。すなわち、ガス分子が非常に少なく、圧力が非常に低い状態が古典的真空であり、質量とエネルギーを統合し時空を科学の対象とした20世紀の現代物理学では、エネルギーが小さい状態の空間を「真の真空」と呼ぶ。真空とは「空間の科学」である。しかし、現在でも非常に圧力が小さい状態を「真空工学」「真空技術」と呼び、古典的真空を利用する様々な技術が開発されている。この「空気がない状態=古典的真空」が科学的に研究されて、空気=ガスの研究=物質の研究が始まった。 | |||||||
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