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第95回 5章 ガスの化学、ガスの工学、ガスの化学工学と分離技術

 2018/12/06

  5−1 ガスの冷却・液化

 

  5−1−1 熱交換器とエンタルピー(Q-T線図)

 

 
 1章では産業ガスと言われるガスビジネスの概要、2章ではガスの科学(物理学)、3章では20世紀の科学(現代物理学)とガスの科学、4章では、物質の階層とガスの科学 について記した。
ここまでは、20世紀初頭から始まるガスビジネスの科学的基礎や歴史、周辺技術について記した。
5章では、より具体的に、ガスの化学工学的取り扱いの例として深冷空気分離について、記す。
 空気分離の概要は、「1章 ガスビジネス、1−4 空気分離 (3)深冷空気分離で、@空気分離装置と空気分離器 」に示した。空気分離プロセスの発明やその歴史については、同じく「A深冷空気分離の歴史」に示した。蒸留分離の仕組みについては「B蒸留分離と気液平衡」に簡単に示した。
深冷空気分離装置の歴史・おさらい
   ガス屋の始まりは、酸素の製造である。最初の工業装置は原料を空気とした化学反応(ブリン反応)を利用したブリンプロセスであり、英国のブリン酸素(BOC、その後、英国酸素)が最古の酸素会社である。その後、ハンプソン(英国BOC)、カール・フォン・リンデ(ドイツ・リンデ)、ジョルジュ・クロード(フランス、エア・リキード)が空気を蒸留して酸素を製造する方法を発明し、20世紀初頭に「深冷空気分離装置」の技術が確立した。
 酸素の製造装置はすぐに窒素の製造装置、酸素・窒素の製造装置となり、米国や日本へもその技術が伝えられた。原料となる空気は世界中どこでも入手できるため、酸素や窒素は製品として輸出入されることはなく、その製造装置である深冷空気分離装置やその技術が欧州から世界へと広まっていった。
 20世紀中盤には、カピッツァ(ソ連)が膨張タービンを用いた空気分離装置を発明し、ほぼ現在と同じようなプロセスが確立した。20世紀後半からは、日本でも独自の開発が行われるようになり、続いて中国でも空気分離装置が製作されるようになった。現在は、ドイツ(リンデ傘下の英国BOCを含む)、フランス、米国、日本、中国の5カ国で深冷空気分離装置が製作されている。
5−1−1 熱交換器とエンタルピー(Q-T線図)
  空気のような気体(ガス)を冷却して液化を行うためには、低温の状態を作らなければならないため、ガスの冷凍サイクルが必要となる。最初に必要なのは熱交換器である。空気を分離するということは、物質の移動と熱の移動(熱の交換)という2つの物理現象だけを利用する非常にシンプルな「操作」である。空気を冷却したり、分離された低温の酸素ガスなどを常温まで加熱したりする操作は、「熱交換器(heat exchanger)」によって行われ、一般的には金属壁で隔てられた2種類以上の流体の間で熱交換が行われるため、ここでは熱のみが移動し、物質の移動は行われない。透化膜のような特別な壁でない限りは物質は壁を隔てて交換されることはなく、通常の熱交換器は熱のみを交換する非常に簡単な(しかし深冷空気分離装置の中で最も重要な)機器である。
  熱力学の法則によって、熱は温度の高い方から低い方にしか流れない。逆方向の流れを作るには「ポンプ」が必要である。 熱い流体と冷たい流体が壁を隔てて接し、温度差によって伝熱(熱伝達、heat transfer)が起これば、熱い流体の温度は下がり、冷たい流体の温度は上がる。これはポンプを必要とせず、自然に起こる現象であって、熱交換器は動力を必要とせず温度差によって熱を伝える装置である。
伝熱は、温度差という推進力によって起こる現象である。英語の論文で、ただ単に exchanger とだけ書かれていれば、たいていは、この熱交換器を意味している。 熱交換器は、流体間で熱を交換することによって流体の温度を所定の温度に上げたり、下げたりすることができる。目標とされる温度を達成するために熱を交換するが、熱の流れる方向は高い方から低い方へと決まっているため、どんな温度でも自由に作り出すということはできない。また、熱交換器の大きさは有限であり、熱が伝わる速度も有限であるため、設計者は、経済的に可能な条件の中で流体を効率よく制御するようにプロセスと機器を設計しなければならない。
 
  深冷空気分離装置のように、気体と液体を取り扱う装置では、熱収支(heat balance)を記述するのに「エンタルピー」(enthalpy)を用いる。
 
  (5-1)
   ここで、Hはエンタルピー、Uは内部エネルギー、pは圧力、Vは容積である。
   式からも分かるようにエンタルピーはエネルギーと同じ次元を持っており、物性値として、比エンタルピー(単位モル当たりあるいは単位質量当たりのエネルギー)が用いられる。右辺の第二項には、特に物理的な意味はないが、与えた熱が内部エネルギーと仕事になったと考えると定義式の意味がみえてくる。(エンタルピーの科学的な意味については第2章を参照)
エンタルピーの絶対値は、意味を持たないが、その変化量には意味があり、熱交換による熱収支をエンタルピー収支で示すことができる。
 
   簡単な熱交換器とその熱収支(エンタルピー収支)を図5-1(1)に示す。
 高温(温度
)のA流体(流量)と低温(温度)のB流体(流量)が熱交換器で熱交換を行う様子を示しており、比エンタルピー(単位物質量あたりのエンタルピ―、通常はモル当たり、あるいは質量あたりのエネルギーの単位を持つ)は、記号hで表し、これに流量をかけたエンタルピー(あるいは、比エンタルピーを単にエンタルピーと呼ぶ場合には、エンタルピー流とも)を記号Qで表わし、横軸をエンタルピー、縦軸を温度とするグラフをQ-T線図と呼ぶ。(右の図の下)
 グラフの横幅(の長さ)は、エンタルピーの変化量を表しているので、この図からは、
A流体が失ったエンタルピーとB流体が受け取ったエンタルピーは等しいということが読み取れる。実際の熱交換器では、途中で物性が大きく変化したり、分岐や合流があったり、多流体であったりと、より複雑になるが、基本的には、このQ-T線図で表すことができる。
 エンタルピーは、純物質の気体だけでなく、混合物の液体でも気体でも定義できるので、気体と液体の熱交換、空気分離装置のように途中で組成が変化する場合、液化や蒸発といった相変化が起こる場合でも、エンタルピーを用いて熱収支を表わすことができる。
  図5-1(1)熱交換器のQ-T線図
図5-1(2)は、温度の高い蒸気がサブクールの液体を加熱する熱交換器の例を示している。同じエンタルピー変化でも液体の比熱と気体の比熱が異なると温度差は一定にならない。
図5-1(3)は、一方の流体が相変化を起こす場合を示している。物性が大きく変化したり、相変化がある場合には、Q-T線は、図5-1(2)のような簡単な直線にはならず、熱交換器の両端(温度が高い方を温端、低い方を冷端と呼ぶ)では、成立しているようにみえるプロセスでも、熱交換器の途中で流体間の温度差が接近しすぎて寸法が過大となり実質上熱交換ができなかったり、あるいは、Q-T線が交差して温度が逆転し、実際は成立していなかったりすることがある。温度の接近や交差は、熱交換器を設計する時にQ-T線図上で確認することができる。(Q-T線図の横軸は、熱交換器の長さではないことに注意)
図5-1(2)熱交換器のQ-T線図 図5-1(3)熱交換器のQ-T線図
  Q-T線図は、二流体の熱交換器における簡単な熱交換の確認に用いることができるが、多流体の場合は、このように簡単な計算はできないため、共通壁温度仮定(熱交換器の長さ方向の同じ位置における壁の温度は一様であり、各流路の流体は壁との間の温度差で伝熱する)というモデルによって、熱交換器各点における熱移動の式を解いて、熱交換器の設計が行われる。
このように、エンタルピーは、液体、気体、純物質、混合物などで、様々な条件で値が得られ、特に定常状態の化学プロセス計算では、エンタルピー収支式は、エネルギーの保存を表すことができるため、様々なプロセス計算に用いられる。
熱交換器もまさしくエンタルピー交換器なのであるが、呼び方は熱交換器(heat exchanger)である。組成や温度・圧力に応じた正確な比エンタルピーを推算できることが条件であるが、熱収支はエンタルピーを用いて非常に簡単に記述でき、実用的な設計が可能となる。
なお、エンタルピーは変化量に意味があり、比エンタルピーの基準点は任意に定めることができるので、物質によって異なった物性データベースを用いる時には、エンタルピーの基準点に注意が必要である。
  空気を蒸留分離するためには、熱交換器で空気の温度を下げなければならないが、目的とする空気の温度よりも低い温度の冷媒を用意することは容易ではない。 空気や酸素、窒素などを低温にするために、より低温の水素やヘリウムを用いるのは非効率で全く現実的ではない。気体の液化に挑戦した先人たちは、気体の状態変化を利用して、気体がそれ自体で温度を下げる冷凍サイクルを発明してきた。空気分離装置は空気以外の冷媒を用いずに、空気と空気から分離される酸素、窒素だけで低温を作り出すことができるため、工業的に実用性のあるプロセスが成立している(高温の空気を冷却するために冷却水などの冷媒は用いているが、空気よりも液化点の低い超低温の冷媒を用いないため安価にガスの製造が可能となっている)。
実在気体の状態を表わし、冷却の仕組みを考えるために、エントロピーを独立変数とした熱力学線図が用いられる。